明治維新まで城主は森家
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- 旅行時期:2019/02(約7年前)
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by amaroさん(男性)
赤穂 クチコミ:9件
忠臣蔵で有名な播州赤穂城の城主って誰だっけ?刃傷沙汰で浅野家のお家断絶後のことなんて知りませんよね。赤穂城に出かけてみて、初めて知りました。なんと、本能寺の変で織田信長とともに討ち死にした森蘭丸の親類が城主となり、明治維新まで続いていました。赤穂は森家、なーんてだれも知らないよなあ。そんなことはともかく、JR赤穂駅から徒歩15分あまり。観光客で賑わう赤穂大石神社の向こう側に石垣に囲まれた赤穂城跡が見えてきました。元々は浅野家が1648年から13年かけて築城。当時の著名な軍学者であった山鹿素行の手が加えられ、「平和な時代」にもかかわらずかなり軍事を意識した城作りだったようです。といっても、今は何もなく、礎石に合わせて、ここに本丸があったんだなあとかが分かる程度。観光客としては、正直あまりにもつまらない、お城見物の面白さランクはかなり下でしょう。そのためか観光客の姿はほとんどありません。しかし、明治維新までいた森家の人々、浅野という名前を払拭するのに苦労したんだろうなあ。結局、今も浅野の城みたいな雰囲気だけど。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
クチコミ投稿日:2019/05/15
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