仁徳帝の妃磐之姫のお墓です
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- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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by 河内温泉大学名誉教授さん(男性)
奈良市 クチコミ:44件
「磐之媛」が眠る古墳の前は水上池で平城宮が広がっていますが、磐之媛の時代にはその様な高層建築物は無く、大和平野から金剛葛城連山が広く遠望できたはずです。この地に立った姫が「つぎねふ 山城河を 宮上り 我が上れば あおによし 奈良を過ぎ 小楯 大和を過ぎ 我が見が欲し国は 葛城高宮吾家(わぎえ)のあたり」と故郷御所を偲んで歌ったのでしょう。
磐之姫は夫である「仁徳帝」の浮気に悋気から家出して、南山城の筒木に宮居(みやい)を作ってここに住んだ。天皇は皇后の所へ迎えの使いを送るが、それも追い返してしまう。そこで、天皇自ら迎えに行くが、それでも皇后は会おうともされなかったので、嫉妬深い姫と揶揄されることも多い姫だが嫉妬で言い表される深い意味があったのかもしれません。宮居を設けた筒木は、歌姫の道の起点と云えばそう取ることが出来ます。姫は奈良を過ぎ、大和に入り故郷葛城の宮を懐かしく思ったのでしょう。しかし、お墓は何も語らずです。
心寂しく亡くなった磐之媛を慰め此処に墓所を設けたと云われます。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2018/04/27
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