天璋院篤姫はこの家に帰る日を夢見たか
- 3.5
- 旅行時期:2016/10(約8年前)
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by bluejaysさん(男性)
鹿児島市 クチコミ:35件
大河ドラマの主人公にもなった天璋院篤子が生まれた今和泉島津家本邸は、今は私邸となっており、石垣だけが当時のまま残っている。
夫である将軍家定の没後、薩摩藩は薩摩に帰国するよう申し入れたが、天璋院は江戸城に残った。江戸城退去後は、千駄ヶ谷の徳川邸で暮らし、薩摩藩からの生活費の支給を拒否した。
高い出自ではないが、薩摩藩の思惑で将軍に嫁ぐため、まず本家である藩主の養女となり、次に近衛家の養女となったが、家定は知的に問題があったとされ、わずか1年の結婚生活を残し後家となった。彼女を江戸城に送り込んだ養父斉彬が亡くなると、薩摩藩は藩論を幕政改革から倒幕へと転換し、天璋院は実家に攻撃される運命となる。実家の今和泉島津家も、島津久光の子に相続された。彼女は結局、輿入れ後は二度と薩摩に戻ることはなかった。薩摩藩に命じられた男子を産むことにも、慶喜を後継者にすることにも失敗した彼女には、戻る場所などなかっただろう。大奥で君臨した彼女は、徳川の女として生きるしかなかったが、その江戸城からも追われた。戊辰戦争で仙台藩に「逆賊薩長討伐」を願い出たことは正気の沙汰とは思えず、勝海舟の和平工作をぶち壊し、徳川家存続すら脅かしかねない暴挙であるが、薩摩に見捨てられた彼女の恨みの深さを知ることができる。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2017/10/11
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