高杉晋作が挙兵した功山寺
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- 旅行時期:2017/09(約8年前)
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by tadさん(男性)
下関 クチコミ:143件
長府の散策の中心は、新しい下関市立歴史博物館とこの功山寺をセットにすればいいだろう。功山寺の国宝殿は、1327年の創建という。鎌倉時代末期の唐様建築。1557年、ここで大内義長は毛利元就に襲われ、自害した。その後は、ここは毛利の菩提寺となり功山寺と改称した。幕末の1864年、三条実美ら七卿落ちのあと、ここは2ヶ月間彼らの潜居の場となる。
その間、高杉晋作の回天義挙の場としても知られることになった。挙兵の呼びかけをしても、なかなか仲間が集まらず、伊藤博文はもっとも最初から参加した一人となった。後に、伊藤博文は、自分の唯一自慢できる話は、ここでいの一番に高杉の挙兵に参加したことだと語っている。最初の敵は萩藩の保守派だったのだ。。この保守派の連中は家老の首を幕府に3人も差し出すような腰抜けだったのだが、高杉晋作の軍はわずか80余名からスタートし、その勢いは急速に拡大し、奇兵隊などの一般民を交えた軍勢は、幕府と戦うだけの力に成長していった。
なお、三条実美らが滞在していた建物の方は有料で内部を見物できる。中庭が美しいので、初めての方には、入場をお薦めする。昔はここで、庭を見ながら料理をいただけたものだが、だいぶ前にとりやめになったようだ。
時間に余裕があるならば、功山寺は、下関市立博物館、毛利庭園、乃木神社、覚苑寺と合わせて、一気にまわられることをお勧めしたい。その途中で土塀のある武家屋敷の雰囲気も自然に味わえる。
- 施設の満足度
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5.0
クチコミ投稿日:2017/09/20
いいね!:7票
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