1300羽の折り鶴…。
- 5.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
-
-
by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
広島市 クチコミ:49件
佐々木偵子さん、広島に投下された原子爆弾リトルボーイによって2歳で被爆し、黒い雨にもうたれました。しかし被爆症状は現れず不調を訴える母とは異なり、元気に育って行きました。しかし昭和29(1954)11月頃から首周りにしこりが現れ、年が明けると顔が腫れ上がるようになったため原爆傷害調査委員会で検査を受けたところ、原爆による〝亜急性白血病〟の診断を受け広島赤十字病院に入院します。
入院中に贈られた折り鶴に影響され、入院患者の多くがそれに続き、1000羽折ると病気が治ると信じて折り続けて夏頃には1000羽を折り切り、もう千羽と言っていたそうです。当時高価だった折り紙ではなく、薬包のセロファン等を利用して折り続けました。しかしその願いも叶わず、昭和30(1955)年10月25日朝、家族に看取られて12歳の短い生涯を終えました。
偵子さんの死後、そのニュースを知った同級生の呼び掛けにより、原爆の犠牲となった子供達の慰霊の碑を作る提案がなされ、広島市はもちろん他府県、外国から予想以上の募金が集まって昭和33(1958)年5月5日に慰霊碑〝原爆の子の像〟が完成します。
偵子さんが病気が治ると信じて折り続けた千羽鶴、碑に祀られている子供たちの供養の意味で世界各国から届く折り鶴ですが、平成15(2003)年8月1日に〝折り鶴放火事件〟に遭遇します。ひとりの大学生による身勝手な自己満足の結果、14万羽の折り鶴が焼失しました。
子供達の願いが込められた〝原爆の子の像〟ゆえ、聖地的な考えもあったのかも知れません。しかし〝折り鶴置き場〟の設置ではやはり対策と言える程のものではないように思います。またこの折り鶴は後々どうなるのか…と思っていたところ、平和記念資料館の入場時に〝千羽鶴再生はがき〟として配布されていました。これならば贈った方々も受け取った子供達も満足の行くものだと思います。
ただ漠然とした〝慰霊碑〟というと、面白半分にいたずらをしたりする輩は残念ながらいるのが現実です。しかしその活動を啓発することで、理解できる者は尚更理解を深めてくれると信じています。犠牲者が安らかに眠る場所で騒動は起こしたくはありません。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和記念資料館からすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 陽が暮れていたことも理由です。
- バリアフリー:
- 5.0
- 塔の付近も舗装されています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- いつ来ても重みを感じます。
クチコミ投稿日:2017/09/16
いいね!:9票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する