強固な骨組みと開口部の方向が明暗をわけました。
- 5.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
広島市 クチコミ:49件
昭和4(1929)年3月に建てられた『大正屋呉服店』が対岸の細工町から新築移転したもので、当時としてはめずらしい鉄筋コンクリートのモダンな建物として完成しています。1~3階はショーウィンドウのある売場で土足で回ることができ、屋上からは市内が一望できまたという一昔前の『デパート』のようなお店でした。しかし昭和18(1943)年12月に繊維統制令により呉服店は閉鎖、被爆当時は他の耐火建物と同じく国策の統制会社である広島県燃料配給統制組合が建物を取得して使用していました。そして昭和20(1945)年8月6日の原爆投下時には、爆心地から170mという至近距離で被爆し、熱線によって地下室を除いて全焼し、爆風によって屋根が押しつぶされ建物内部もめちゃくちゃに壊れました。しかし建物の開口部が爆心地の方向にはほとんどなかったこともあり、建物外と内部による気圧の差が生じなかった、あるいは小さかったため基本的形態は破壊を免れて残存しました。その際に建物内で働いていた従業員のうち28名は即死、8名は傷付きながらも脱出しましたがその後亡くなられました。そして戦後は早い時期での補修工事が進み、引き続き燃料会館として使用されていました。
平和記念公園の建設に伴い『取り壊し』が議論されますが、昭和32(1957)年に広島市が買収し、東部復興事務所として使用しました。その後拐取を含めた大規模な補修工事が行われた後に、昭和57(1982)年からは平和記念公園レストハウスとして使用され現在に至っています。込み合った時間帯だったので、そのままとされる地下室の件は次の機会のお楽しみにしました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 原爆ドームからすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 時間帯によると思います。
- バリアフリー:
- 5.0
- 考えられています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 長年の重みが感じられます。
クチコミ投稿日:2017/09/15
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