堀兼之井
名所・史跡
2.80
クチコミ・評判
1~3件(全3件中)
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掘り難し→掘りかねる→堀兼となったのか?
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- 旅行時期:2017/06(約9年前)
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堀兼之井は堀兼神社の境内にあります。その神社までは、西武新宿線入曽駅から歩くこと40分くらい掛かりました。歩道がない道が多... 続きを読むく怖い道です。途中から勘に頼って?畑の中の細い道を辿ります。現地まで行ってから気が付きましたが、狭山市の循環バスの停留所がありました。但し、本数が極端に少ない(両方向合わせて4本/日)ですから利用価値があるかどうかは分かりません。時間が合えば、片道だけ利用する方法もあるかも・・・。
さて、堀兼之井ですが、堀兼神社にあるからその様に名付けられたと思っていたらまったく違うのですね。掘兼とは里(庶民)の言葉で掘り難しだそうです。掘り難し→掘りかねる→堀兼とでもなるのでしょうか。また、神社の名はこの堀兼之井からでした。その井戸は、周りを細かい石積みで囲われた窪地が落ち葉に埋まっているだけです。真ん中の井桁は辛うじて分かります。井戸のイメージが湧いてこないので、この井戸に実際に水が湧き出してくるところを見てみたいものです。すぐ近くにつるべ(滑車だけ)の付いた井戸があります。(今は蓋がされてしまっています)ここには地下水流があるのですね。また、神社には随身門(市の文化財)があります。あまり見ることのない門だと思いますので、見栄えのない堀兼之井の代わりに見てみてはいかがでしょうか。
閉じる投稿日:2017/06/30
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いわゆる「ほりかねの井」だと川越藩主がお墨付き?
- 2.0
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
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堀兼之井のあるは堀兼神社までは、最寄り駅の西武線入曽駅から2km以上あります。最短で行くには、分かりやすい道ではありません... 続きを読むので地図は必須です。堀兼之井は境内の左奥のところにあります。直径7m強、底までの深さ2m弱で、中央には本来の井戸となる石組の井桁がちょっと覗いています。見た目では分厚い落ち葉に埋まった窪地です。
井戸の横に、川越藩主秋元喬知が宝永5年(1708年)3月に建てたと刻まれている石碑があります。そこには、この凹形の地は(和歌に詠まれたり、書かれたりしている)いわゆる「ほりかねの井」だと書かれています。お殿様のお墨付です。また、最後の1行は小さい字で、ほりかねは掘り難しの意だとなっています。但し、一番最後に「従俗耳」と書かれていて、ちまたの話であって確たるものではないとなっているところがニクイです。
そもそも武蔵野の高燥台地は水利が悪く、飲料水の確保にも事欠くため、平安時代に「ほりかねの井」が各地に掘られたとのことです。どこも、これがいわゆる「ほりかねの井」だとする決め手がないのですね。先に言った方が勝ち、信じた方が確かというのが、前出の石碑の建立ではないでしょうか。一方、この神社の元々の名は浅間神社です。社伝によれば、日本武尊が東征の帰路、当地に立ち寄った時に、水がなくて困っている住民を見て、富士山に遥拝して井戸を掘らせたところ、水を得ることができたため、浅間社を祀ったのだそうです。今も、主祭神は富士山にお住まいの木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)です。日本武尊はほぼ神話の世界ですが、そんな時代にすでに井戸を掘ったことになります。(実際に掘られたのは平安時代と見られています)明治時代に入ってから堀兼井浅間神社と名乗り、村社になった時に堀兼神社となったとのことです。
閉じる投稿日:2017/06/28
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武蔵野の名水と言われた井戸です
- 3.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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1件目~3件目を表示(全3件中)
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