理解できない事件に遭遇しました。
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- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
広島市 クチコミ:49件
昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、広島市に〝ピカドン〟が投下されました。熱線や急性放射能障害によって多くの人々は即死、若しくは時をあけずして亡くなりました。被爆者の一人であった〝佐々木禎子さん〟は、昭和18(1943)年1月7日生まれの当時2歳でした。
爆心地から1.7kmの自宅で〝黒い雨〟によって被爆するも、幸いけがもなく元気で活発な少女に成長しました。運動神経抜群だった彼女の将来の夢は〝体育の先生〟だったそうです。原爆投下時の被爆検査では異常が見当たりませんでした。しかし10年後の小学校6年生の時に突然白血病と診断され広島赤十字病院に入院し、8か月間の闘病生活の後昭和30(1955)年10月25日に12歳9か月の短い生涯を終えました。
入院中の禎子さんは〝千羽の鶴を折ると病気が治る〟ことを信じ、薬包紙や包装紙などで1,300羽以上の鶴を折り続けました。結局はなくなりますが、その病気を乗りこえ懸命に生きようとした〝サダコ〟の物語はヒロシマの悲劇の象徴として、日本だけでなく海外でも広く語り継がれています。
禎子さんの死に衝撃を受けた同級生たちは〝原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう〟と全国へ呼びかけるとともに子供達による募金活動が始まり、全国3,100校余りの生徒とイギリスなどの国外からの支援によって集まった浄財をもとに昭和33(1953)年5月5日に〝原爆の子の像〟が完成します。
原爆の子の像塔内部には〝子どもたちの気持ち〟に感動したノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士の筆による〝千羽鶴〟そして〝地に空に平和〟の文字が彫られた銅鐸を模した鐘が上に、そしてその下には〝金色の鶴〟が吊るされ風鈴式に音が出るようになっています。現在はレプリカが吊るされていますがオリジナルは広島平和記念資料館東館1階ロビーに展示されており見ることができます。
千羽鶴と切っても切れない関係があり、供えられた多くの千羽鶴を雨露から守るために平成14(2002)年4月に像の周囲に新たに屋根付きの折り鶴台が整備されましたが翌平成15(2003)年8月1日に〝折り鶴放火事件〟が発生し、KG大学の学生が逮捕されました。
多くの人々が願いを込めた折り鶴を〝留年してむしゃくしゃしていた〟理由から放火し、器物損壊罪で逮捕されるも〝反省している〟ということから罰金と現場施設の復旧費を払って退学にもならなかったことはショッキングな出来事として心に残っています。戦争という〝破壊行為〟の結果原爆が投下され、それによって亡くなった犠牲者の追悼するために建立された像、そして哀悼の意を込めて供えられた折り鶴を燃やそうとしたことは理解に苦しみます。そういうことが続くとどんどんどんどん慰霊碑の運営が厳しくなり、結果として忘れ去られてしまう最悪の展開だけは避けなければならないと改めて思いました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
クチコミ投稿日:2017/05/28
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