源平両軍が睨み合った地
- 3.5
- 旅行時期:2007/08(約18年前)
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by マローズさん(男性)
高松 クチコミ:11件
相引川は昔、本土と屋島を隔てる湾で、赤牛崎付近が浅瀬になっていた。潮の満干によって東西に分かれることから「相引の浜」と呼ばれていたが、源平合戦で両軍が激戦を繰り広げ、決着がつかなかったため、双方が引いた、という由来も加えられた。
17世紀初期、讃岐領主、生駒氏の家臣、西嶋八兵衛によって干拓され、農地として使用されていたが、寛永年間、藩主の松平頼重が源平史跡を顕彰するため、開削し、屋島は再び島となった。
頼重は佐藤継信等の顕彰も行っている。
- 施設の満足度
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3.5
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2016/09/11
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