首里八景の一つであった
- 3.5
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by はまちゃんさん(男性)
那覇 クチコミ:468件
ゆいレールの首里駅から歩いて20分足らず、“首里観音堂”の敷地内、山門近くに「万歳嶺」の碑と説明板があります。
【説明板の全文】
『万歳嶺(俗称「上(ウィー)ナチジナームイ」)は、首里台地の西端に位置する丘のことで、かつては松が生い茂り、頂上から美しい眺望が開けていたため、「万歳嶺夕照(ばんざいれいせきしょう)」と詠うたわれた首里八景の一つであった。時の国王尚真(しょうしん)がこの地に遊覧した際、王の治世、国の繁栄を祝う万歳の声がわきおこったことから、1497年に丘の頂上に「万歳嶺記(ばんざいれいき)」の碑を建立し、この丘を「万歳嶺」と称した。
1617年、後に国王となる尚豊(しょうほう)が国質(くにじち)(人質)として薩摩に赴いた際、父尚久(しょうきゅう)は息子の無事な帰国を祈願。同年尚豊が無事帰国したので、翌1618年、尚久は万歳嶺の 南斜面に千手観音像を奉じ、観音堂と慈眼院を建立した。
その後、観音堂は旅の航海安全を祈る場所として人々の信仰を集めていたが、1945年の沖縄戦で焼失し、「万歳嶺記」の碑も破壊された。戦後、万歳嶺の頂上付近を削り、観音堂が新たに建てられた。「万歳嶺記」の碑も、残った一部を台座に組み込み、復元されている。なお、万歳嶺に対し、その西方に連なる小高い丘は、「官松嶺(かんしょうれい)」(俗称「下(シム)ナチジナームイ」)と呼ばれていた。』
説明板を読んで、何故、那覇港まで見渡す首里の高台に立派な観音堂が建っている理由が判りました。国王が那覇港の方に向かって息子の無事帰国を願った、親としての気持ちが判ります。古いものが沖縄戦で全てが破壊されて残念ですが、立派に復元された観音堂や「万歳嶺記」が見られてよかったです。
この辺りには、古都首里の遺跡がたくさんあります。私は、首里城公園管理センターで頂いた“首里城首里巡り”という絵図マップを参考に散策しました。首里の歴史に興味ある方は、首里城を訪れたら、絵図マップを入手して散策されると良いと思います。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2016/06/09
いいね!:2票
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