琉球国王後継ぎの旧殿宅跡
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- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by はまちゃんさん(男性)
那覇 クチコミ:468件
首里高等学校の西端付近の県道50号線(寒川通り)沿いに「旧中城御殿跡」の石標(説明板)があります。
石標(説明板)には、昔の絵図とともに、『琉球国王世子(せいし=後継ぎ)の旧殿宅跡。尚豊(しょうほう)王代(1621~40年)に創建され、二百数十年、世子殿の役割を担った。1875年に世子殿が龍潭(りゅうたん)の北側(現県立博物館敷地)に移転すると、跡地は「下の薬園(シムヌヤクエン)」となった。1879年の廃藩置県後、1891年に沖縄尋常中学校(後の県立第一中学校)が置かれ、沖縄戦後、首里高等学校の校地となった。』と記載されています。詳細は、石標(説明板)の添付写真を参照ください。
「中城御殿」は、沖縄戦で破壊され建物内に保管された大事な宝物も散逸してしまい、復帰後はこの地に沖縄県立博物館が建てられましたが、博物館は2006年おもろまちへ移転されました。石標(説明板)にある“現県立博物館”は、おもろまちへ移転した博物館のことで、現在は、御殿に関する建物などは全くなくて、その跡地の発掘調査が進められいます。石標(説明板)の表記に判りにくいところがありますが、その絵図を見て、立派な御殿がこの地にあったことがうかがえました。発掘調査が進み、今後の復元を期待したいと思いました。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2016/06/08
いいね!:2票
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