住宅の下に位置する壕です。~識名壕~
- 5.0
- 旅行時期:2016/04(約9年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
那覇 クチコミ:64件
那覇市識名4丁目の住宅地にある識名壕は、沖縄戦の最中第62師団野戦病院であったナゲーラ壕が手狭になったため利用されるようになった壕です。正確には石部隊野戦病院識名分院壕といい、元梯梧学徒看護隊の少女たちがナゲーラ壕から移ってきました。5月には米軍の攻撃を受けた際壕内にあった手榴弾が誘爆し、多くの犠牲者を出しました。
その後第32軍司令部の南部撤退命令により、時期を同じくしてナゲーラ壕に配属となったずゐせん学徒も含め、識名壕を出て武富壕・サキタリガマ・米須フシゾーアブ・伊原壕へと移動しています。
第32軍司令部崩壊直前の昭和20(1945)年6月19日にはふたつの学徒隊に解散命令が出され、多くの犠牲者を出したことはあえて語る必要もない程有名なことでしょう。
この識名壕は大変場所がわかり辛く、場所を特定しながら歩かないとなかなか到着できません。また車を停めるスペースもなく、識名園駐車場に停めて歩かないといけません。住居の隙間の狭い階段を下りて行き、壕の底辺まで降りた先はお隣の住宅の真下にあたることは驚いてしまいました。しかしその史跡を残して頂いていることによって今なお70年前に?ここで何があったか?を追体験できることは戦後世代には大変ありがたいことのように思います。
この識名壕ですが結構勘違いされていることがあります。それが名称なのですが、先述したように第62師団野戦病院識名分院が識名壕、つまりこの場所となるのですが、もうひとつ陸軍病院識名分室壕というものがあります。そちらは現在行くことができないため、話題に上ることはほとんどないものの、識名壕は第62師団隷下、それに対し南風原陸軍病院識名分室壕は第32軍直轄だったという大きな違いがあります。師団隷下と直轄の違いは敢えて説明を省きますが、配属された学徒看護隊の?違い?があります。ナゲーラ壕に配属されたのはずゐせん・梯梧の学徒隊、それに対し陸軍病院にはひめゆり学徒隊が配属となっています。
いずれの学徒隊も南部への撤退の途中や解散命令が出されてから多くの犠牲者を出した?悲劇の学徒隊?であったことには変わりませんが、よく似た名前というだけで判断してしまっていることが多い事実は非常に残念に思えてなりません。歴史を知ることは必要であることには変わりはありません。そのことが将来?大きな過ち?を繰り返すかどうかに繋がっている…お参りをしてふと思った次第です。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 光明寺バス停から徒歩2分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 誰とも出会いませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段があり足場は良くありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 場所的な違和感を感じました。
クチコミ投稿日:2016/04/29
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