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宇多良炭鉱跡

名所・史跡

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日本近代化産業群のひとつです~宇多良炭坑~。

  • 5.0
  • 旅行時期:2015/10(約10年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

西表島 クチコミ:69件

浦内川河口の駐車場から徒歩20分、支流の宇多良川に沿って木道を歩いて行くとコンクリートやレンガの遺構を確認することができます。丸三炭坑宇多良鉱業所として昭和10(1935)年に採掘がはじまりました。良質の石炭が採掘できるということで需要はどんどん伸びて行くも、戦争により工夫の徴兵や会社所有船舶の徴用、そして連合国の戦略爆撃により炭鉱施設は破壊され、昭和18(1943)年頃には休止に追い込まれました。
採掘を取り仕切っていた丸三炭坑という会社は、3Kの極地といわれる炭鉱労働を、様々な生活や娯楽、衛生に関わるものを変えていきました。結果当時の風土病として恐れられていたマラリア羅漢率は、他の炭坑と比べ格段に低かったとされています。石炭の枯渇時に自給自足の生活が図れるように、炭坑業務以外にも造船や漁業、農業等も行っていたようですが、結局は戦争によって休止を余儀なくされます。米軍統治下で炭坑は再開されるものの効率の悪さゆえ民間に払い下げられ、経営を変えながら何度か再開休止を繰り返した後、エネルギー事情の変化により昭和35(1960)年には閉山し、歴史の波に埋もれていきました。

その後平成19(2007)年に通産省が、炭坑が日本の近代化に果たした役割を後世に伝えるものとして、日本近代化産業遺産群のひとつにこの宇多良炭鉱跡地を指定し、それに合わせて木道が整備され現在に至っています。

宇多良炭鉱が稼働していた時期は、正に戦前の国家近代化の真っ最中であった時期と被ります。それは別の意味で国力を誇示するため、戦争へと突き進んでいた時期でもあります。炭坑という現場に於いて石炭が枯渇した時のことまで考えていた。予備知識がなくして炭坑を見てしまうと疑問に思えてしまうところはあるように思います。しかし厳しい現実の場所であったから故、生まれたユートピア思想だったかのように思えてなりません。ニライカナイ思想に基づく炭坑住宅の改善、結果として叶わなかったもののその遺構が今尚見学できることはありがたいことのように思えてなりません。

遊歩道は完備されていますが、この遊歩道からは見えない場所にも史跡は残っています。写真撮影された方もおられますが、あくまでそのエリアは整地されていないものになります。手負いの私には自己責任に於いてそこまで進むことはできませんでした。ただ個人で行かれるならばあくまで自己責任で遂行することになることだけはご留意下さい。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
1km歩く必要があります。
人混みの少なさ:
5.0
誰もいませんでした。
バリアフリー:
1.0
山道を歩くので適していないと思います。
見ごたえ:
5.0
天空の城ラピュタを見ている感じがします。

クチコミ投稿日:2015/10/31

いいね!:8

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