「日本三大水攻め」で豊臣秀吉と戦った太田左近の像
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- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
和歌山駅東口近くにあるこの像は、備中高松城、武州忍城と並び「日本三大水攻め」に数えられる豊臣秀吉の水攻めにより陥落を余儀なくされた太田城の城主・太田左近の像です。
秀吉による紀州攻めは、天正13年、総勢10万の大軍勢によるものでしたが、わずか5,000余の兵力しか無い太田城をなかなか攻め落とすことができなかったため、秀吉得意の「水攻め」によりようやく陥落させることに成功したものです。
この戦いで、秀吉軍は高さ約4~6m、総延長約7kmにも及ぶ壮大な堤防を築造したと言われ、約1か月間の攻防により物心両面で精根尽き果てた太田一族は遂に城を明け渡すことになりました。このとき、降伏の条件として太田城の指導者であった太田左近をはじめとする53名が自刃したと言われています。
この像は、その太田左近を偲んで作られたものです。
像の周囲には、太田左近をキャラクター化した「自由の戦士 さこんくん」を描いた幟がはためいていますが、もうひとつ、「愛の戦士 ませんなちゃん」というキャラクターも見えます。
これは、太田城水攻めの際、水に囲まれた城から一人船を漕ぎ出して10万を擁する秀吉の大軍に攻め入り、朱柄の槍を手に縦横無尽に暴れ回ったと伝えられる「朝比奈摩仙名(あさひな ませんな)」という尼法師をモチーフにしたものです。この女性は、奮闘の末に秀吉軍に捕らえられたものの、その戦いぶりのあまりの見事さに感心した秀吉に許されてそのまま太田城に戻ったと言われます。
近年になって太田一族を顕彰する地元の人々の間で「朝比奈摩仙名」をキャラクター化してアピールしていこうという動きがあり、この「さこんくん」と「ませんなちゃん」が世に出ることになったもののようです。
豊臣秀吉と命がけの攻城戦を行った朝比奈摩仙名と太田左近に想いを馳せればちょっと可愛いすぎるかな・・・、とも思いますが、少しでも多くの人にこの二人の事績を知って貰おうとすれば、これぐらいインパクトがあった方がいいのでしょうね。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/10/06
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