紀州徳川家の台所を支えた物流拠点
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- 旅行時期:2014/02(約12年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
和歌山市内を流れる川を一般的に「内川」と呼びますが、この名称は一つの川の名前では無く、和歌川、市堀川、大門川、真田堀川、有本川という5つの川の総称です。
このうちの、市堀川沿いで現在は市営京橋駐車場になっているあたりを「納屋河岸(なやがし)」と言います。
このあたりは、かつて紀州徳川家の台所を支える一大物流拠点となっていた場所で、紀ノ川を通じて米や野菜、魚などの物産が大量に荷揚げされていました。この周辺には米問屋や米倉が軒を並べ、近隣の万町(よろずまち)では一年を通じて総菜が扱われ、西の店(にしのたな)では魚市場が開かれるなど、和歌山で最も賑やかで活気のある町並みであったようです。
今でこそ、「和歌山で最も賑やか」と言っても「全国からみればどうってことはない」と思われがちですが、実は江戸時代の和歌山は全国有数の都市であったのです。和歌山県立博物館によると、幕末の頃の和歌山市の人口は約9万人といわれ、これは、なんと江戸・大坂・京都・名古屋・金沢に次ぐ全国6番目の規模になるのです。
全国6番目の都市といえば、現在の都市の人口ランキングでみれば東京都特別区、横浜市、大阪市、名古屋市、札幌市、神戸市に次ぐ「京都市」ぐらいの位置づけであったと言えるわけで、そんな大都市の台所をこの納屋河岸周辺が支えていたわけです。
そう考えると、現在も納屋河岸の近くにある「ぶらくり丁商店街」の歴史が非常に重厚なもののように思えてくるではありませんか。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/10/06
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