石山寺の鎮守神!?
- 5.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
石山寺周辺 クチコミ:120件
一見するだけでは集落の氏神様のようにしか見えない新宮神社ですが、歴史は古く石山寺が造営された奈良時代には既にあったとされています。御祭神は伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)とされていますが、石山寺界隈にある神社同様壬申の乱で敗れ自害した大友皇子(おおとものみこ:第39代弘文天皇)に纏わる伝承も残っているところです。672年7月23日(旧暦)、瀬田川の戦いで敗れた大友皇子は、現在御霊神社が建てられている鳥居川の地で自害して果てます。その後大友皇子の皇子であった大友與多王(おおとものよたのみこ)が、天武天皇の許可を得て所領を寄付し園城寺を建立しますが、その際に父大友皇子の霊を弔うべく、瀬田の唐橋からさほど遠くない場所に御霊神社を建立します。
石山寺の月見亭近くにある若宮祠も、大友皇子が自害したとされる場所のひとつであり、大友與多王が大友皇子終焉の場所に作ったものが三十八社五明神社であったとされています。御霊神社説とは少し異なる解釈にはなりますが、その伝承の地は石山寺境内の本堂の隣、硅灰石の上という絶景の場所でした。石山寺に元来あったものが?古宮?であり、勧請して作られたものが?新宮?、そしてそれが今の新宮神社となり現在に至っています。
神社でありながらお寺の鎮守神というものもの珍しさはあるのかも知れません。そしてこの古宮?三十八社五明神社?の大祭が?石山祭?であり、毎年5月5日に?新宮神社?を出発した大人・子供の各神輿や稚児行列が石山寺境内を巡行し、三十八社五明神社の拝殿である?蓮如堂?へと入り、神仏習合の行事が行われます。
この新宮神社、今では石山寺○丁目という住居表示にはなっていますが、約40年前には?石山寺辺町?という広大な地名だったこともあります。石山寺所有の山林ではあるものの、石山寺からストレートには行けません。山裾を回って行くかたちを取るので1km位は歩かないといけませんが、天気がいい日だと古代歴史にどっぷりつかるのにはうってつけのように思います♪
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 最寄りのバス停から歩くと10分くらいかかります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- お祭りのときでもないとほとんど人には会いません。
- バリアフリー:
- 3.0
- スロープがありますが、結構急こう配です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 趣があります。
クチコミ投稿日:2015/10/05
いいね!:8票
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