「理研」の発展の基礎を築いたビタミンA製造法発明者
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- 旅行時期:2013/10(約12年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
岡公園の中に、高橋克己博士の頌徳碑があります。
高橋氏は、明治25年、木ノ本村(現在の和歌山市木ノ本)に生まれました。その後、東京帝国大学農科大学農芸化学科、同大学大学院を経て、財団法人理化学研究所で油脂の研究に携わりました。理化学研究所は、大正6年に皇室からの御下賜金等をもとに設立された日本で唯一の自然科学の総合研究所で、現在も独立行政法人理化学研究所、通称「理研」として運営が続けられています。例のスーパーコンピューターの「京」を運用しているのもこの理研なのです。
大正2年、アメリカの研究者が動物の成長を促進させる物質「ビタミンA」を発見します。これが不足すると夜盲症になることも判ってきました。ところが、ビタミンAは非常に不安定な物質で、世界中の科学者が抽出を試みましたが誰も成功する者はいませんでした。しかし、高橋氏は油脂に関する豊富な経験を活かして高温で蒸留するなど当時の常識を覆す方法を用い、大正11年、世界で始めてビタミンAの抽出に成功するのです。
当時の理化学研究所の所長であった大河内正敏は、この時、ビタミンAを自ら工業化して販売することを決断します。こうして発売された「理研ビタミン」は爆発的に販売を伸ばし、当時の理化学研究所の支出の大半を賄えるほどの莫大な収入を研究所にもたらしたと言われます。この商品を販売するために理研が設立した「理化学興業」という会社は、その後さまざまな経過を経て現在も「理研ビタミン株式会社」として存続しています。「リケンの『わかめスープ』、『ふえるわかめちゃん』」と言えば、「ああ、あの会社!」と思い出す方がいるかもしれません。
歴史に残る大きな功績を挙げた高橋氏ですが、大正13年に腸チフスに感染し、翌年満32歳の若さで亡くなります。東京帝国大学農学部が臨時教授会で農学博士の学位を授与したわずか8日後のことでした。
高橋氏は、生前、帝国学士院賞の賞金を母校である和歌山中学校(現在の県立桐蔭高等学校)に全額寄附し、同校ではこれを基金として理化学分野の成績優秀な生徒に「高橋賞」を授与していました。現在は、この意思を継ぐ高橋克己顕彰会が、「日本学生科学賞」の県審査の優秀者に対して「高橋克己特別賞」を贈る活動を続けています。高橋博士の後を継ぐ優秀な科学者が和歌山からどんどん出てきて欲しいものです。
なにしろ、高橋博士の発明がなければスーパーコンピューター「京」を運用する理化学学研究所も財政難で潰れていたのかもしれないんですから(^_^)v
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クチコミ投稿日:2015/09/16
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