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津本陽「幕末巨龍伝」の主人公の住寺

  • 4.0
  • 旅行時期:2013/05(約13年前)
yoshimune-kunさん

by yoshimune-kunさん(男性)

和歌の浦 クチコミ:5件

津本陽氏の作品「幕末巨龍伝」の主人公である北畠道龍は、文政3年、この浄土真宗本願寺派法福寺住職の長男として生まれました。

道龍は、幼い頃から仏典、徂徠学、易学、禅学などを学ぶとともに、剣は柔剛流、槍は大島流、柔術は関口流を学び、武芸にも秀でた能力を示しました。
20歳の頃から諸国を巡って本山や他の宗派の関係者と交流するとともに、諸国の志士と交流を深めます。紀州へ戻った道龍は、万延元年、農民や漁民らをメンバーとする民兵組織「法福寺隊」を結成しました。これは、長州藩の奇兵隊よりも10年早く、「日本初の民兵組織」だったのです。
法福寺隊は、天誅組の乱に参戦して一躍名を馳せ、後に、第二次長州征伐において紀州藩軍先鋒として石州口に出陣し、唯一とも言える戦果を挙げるなど、精鋭で知られました。
道龍は、民兵にプロシア式の訓練を行っていたことから、やがて紀州藩はプロシア人カール・ケッペンを指導者として招聘し、プロシア式軍隊を整備することになりました。これが、四民平等による徴兵制を元にし、洋服を着用する、という「日本初の洋式軍隊」へとつながり、結果的にこれが明治政府の軍隊へと昇格していくことになるのです。
つまり、この法福寺の住職が明治政府の軍隊の基礎を全て作ったということができるのです。

道龍は、この後、本願寺改革に取り組んだり、明治大学の創立者である矢代操とともに「北畠講法学舎」を設立して弁護士の養成に取り組んだり、日本人として初めてインドのムンバイにある「仏蹟」の巡礼に成功するなど、様々な活躍をします。
こうしたことから、明治18年、「今日新聞」が「現今日本十傑」として各界のナンバー1を選んだ際には、政治家では伊藤博文、著述家では福沢諭吉らと並んで、教法家では北畠道龍が1位となるほど高く評価されました。

晩年は、大学設立を目指していたものの、会計係りの不正により大きな負債を追ったことからあまり恵まれた状況ではありませんでしたが、いずれにせよ、和歌山から出て日本を大きく動かした、傑出した人物であったことは間違いありません。



施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
2.5
人混みの少なさ:
4.0
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2015/08/18

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