雑賀衆の本拠
- 3.0
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌の浦 クチコミ:5件
ここ妙見山は、戦国時代、雑賀衆の拠点となった「雑賀城」が置かれていた山です。
雑賀衆の頭領であった雑賀孫一は、ここに本陣となる雑賀城を築き、東北にわずかに離れた弥勒寺山(現在の秋葉山)に弥勒寺山城を築きました。
その頃、石山合戦において石山本願寺の顕如上人を助けて織田信長の軍勢に立ち向かった雑賀衆を殲滅しようと、信長は紀州征伐の大軍を雑賀の本拠地へと送り込みます。
天正5年(1577年)2月、和歌川を挟んで信長軍と対峙した雑賀の軍勢は、川の中に壺や瓶を埋めたり馬防柵を設けたりして信長軍の騎馬隊を足止めし、山上から雨あられと銃弾を浴びせかけて、一方的な攻勢に出ました。
大きな損害を被った信長軍は攻めるに攻められず、一旦は雑賀衆と講和を結んだ形をとって紀州から這々の体で引き上げることになってしまいした。
このとき足を負傷していた雑賀孫一が喜び勇んで踊ったのが、現在も伝わる「雑賀踊り」であると言われています。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 2.5
クチコミ投稿日:2015/08/17
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