1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 近畿地方
  4. 和歌山県
  5. 和歌山市
  6. 和歌山市 観光
  7. 小山塚
  8. クチコミ詳細
和歌山市×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記
Q&A

小山塚

名所・史跡

小山塚 施設情報・クチコミに戻る

秀吉の水攻めによる犠牲者の首塚

  • 4.0
  • 旅行時期:2015/05(約11年前)
yoshimune-kunさん

by yoshimune-kunさん(男性)

和歌山市 クチコミ:65件

天正13年(1585年)、秀吉による紀州攻めは総勢10万の大軍勢によるものであったが、わずか5,000余の兵力しか無い太田城をなかなか攻め落とすことができなかった。このため、秀吉は得意の「水攻め」に切り替えてようやく陥落させることに成功した。これは、備中高松城、武州忍城と並び、秀吉の「三大水攻め」としてよく知られている。

この戦いで、秀吉軍は高さ約4~6m、総延長約7kmにも及ぶ壮大な堤防を築造したと言われ、約1か月間の攻防により物心両面で精根尽き果てた太田一族は遂に城を明け渡すことになった。
このとき、降伏の条件として太田城の指導者であった太田左近ら53名が自刃したと言われ、その首が城周辺の3か所に埋められたと伝えられる。この「小山塚」は、これらの首が埋められた場所に建立された碑である。(碑は昭和27年に建立されたものであるが、区画整理のためもとの場所からは移転された)

この戦いの様子は、当時日本に来ていたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが、母国に送付した手紙にも書き残されている。

--
残った城は、最も重要なオンダナシロ(太田の城)と称するもののみとなったが、この城は一つの市の如きもので、雑賀の財宝は悉くここに集め、根来ならびに雑賀の主立った諸将等もここにいた。軍需品・兵士及び糧食は、非常に多量で、日本の常食である米のみでも20万俵を超えたということである。
而してこの城ははなはだ強固で、四方に十分の備えがあったので、突撃によって攻め入れることは困難とされた。よって、羽柴筑前殿は、甚だ高く、かつ厚い土壁をもってこれを囲み、彼等が防禦と頼んだ水多き大河をその中に引き、これによって敵を溺死せしめんと決した。
而して、そのため軍隊の諸将にこの土壁を負担させた。壁の厚さは20プラザ以上、高さ6プラザを有し、城より銃を発しても害をなすこと能わざる距離に在った。同所より来た者の言によれば、この壁は周回2レグワあった。
城内の者はこれを見て、堀に接して対壁を作り、水の城内に入ることを防がんとした。
その後、秀吉は海の司令官アゴスチニョ(小西行長)に命じて、船で攻撃したので、城内の者も抗し得ず、遂に降伏した。
--

和歌山大学の海津教授によれば、この戦いは、我が国の中世の終焉と近世の開幕を示す重要な意味を持つものであったとされる。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
JR和歌山駅から徒歩5分
人混みの少なさ:
5.0
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2015/07/28

いいね!:0

利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する

PAGE TOP