妓王・妓女伝説
- 3.5
- 旅行時期:2014/09(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
嵐山・嵯峨野・太秦・桂 クチコミ:2件
往生院は平安時代に創建され、かつては数多くの坊が建ち並んでいたが、その後祇王寺と三宝寺のみが残った。1868年の廃仏毀釈により廃寺となったが、京都府知事北垣国道が別荘の一棟を寄付し、1905年に再興された。
平清盛は白拍子の妓王・妓女の姉妹を寵愛していたが、ある日白拍子の仏御前が訪れ、舞を披露したいと申し出る。清盛は追い払おうとしたが、妓王のとりなしにより仏御前は清盛の御前で舞うことを許された。仏御前は、
「君を初めて見る折は 千代も経ぬべし姫小松 御前の池なる亀岡に 鶴こそ群れ居て遊ぶめれ」
と即興で舞いながら歌い、清盛の寵愛を得た。
妓王・妓女は清盛に疎まれるようになり、ついには仏御前を慰めるため彼女の前で舞を見せよと命じられるに至り、母の刀自とともに髪を剃り、出家して往生院に入った。妓王は去り際に、障子にこう書き残したという。
「萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき」
その後、仏御前も出家して往生院に入った。彼女は、自分もまたいずれ捨てられるはかない運命と知り、ひたすらに念仏を唱えることで極楽往生を願ったのである。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2015/06/27
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