室町時代に二度あった「百々橋の戦い」
- 3.5
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
今出川・北大路・北野 クチコミ:12件
寺之内通の宝鏡寺門前を「百々の辻」と呼ぶようになったのは平安時代からだが、小川にかかるこの小橋が有名になったのは、戦国時代の合戦以降である。
1467年に発生した応仁の乱で、東軍と西軍が百々橋を挟んで戦った。ここから一条戻り橋付近まで、一帯が焼失した。
それから40年後、細川勝元の子政元の跡嗣をめぐって、養子の澄元と澄之が対立した。1507年澄之は養父政元を殺し、百々橋で澄元と戦った。澄元は近江へ敗走したが、後に京都に戻り、澄之を滅ぼした。
小川は1963年に埋められ、百々橋も消滅したが、礎石はこの地のほか、室町小学校と洛西竹林公園に展示されている。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2015/06/21
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