そこは殉教の地にふさわしく神々しいまでに爽やかな風が吹いていました
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- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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by 風待人さん(男性)
天草諸島 クチコミ:13件
宗教というものは人を救うべきものである。
救われるために民は祈り、信仰する。
そこには清い心と不屈の魂、何物にも揺るがない信念がある。
アダム荒川は、信仰に生き、そしてその純粋な信仰心故にその命を失った殉教者である。
若き日に過ちを犯し、主君より処刑を命ぜられて死にゆく運命であった。
その死から彼を救ったのがイエズス会院長モーラ神父であった。
その後は我が身を捨てるかのように信仰に生きたアダム荒川。
1614年には宣教師追放令が発布され、志岐のガルセス神父は追放されるその時に、アダムに志岐の教会の世話を頼んだ。この依頼を喜んで受けた荒川は、幼児に洗礼を授け、病人を見舞い、死者の埋葬、迫害の勃発に動揺する信徒を励ますなど献身的に祈りと奉仕の日々を送っていた。
そのアダム荒川は天草のキリスト教信仰の要となっていた。
アダム荒川が棄教さえすればその結束は壊れると踏んだ富岡城番代川村四郎左衛門は彼を拷問にかけ棄教を迫ったがこれを叶わず。
最後には富岡城に移され、夜明けごろ城山の裏道を下ったところに連れ出され、そこで斬首された。そこは、小川が潮入りで袋湾に注ぐ場所で、アダムの遺体は重石を付けられ、湾外の海中に沈められたとのことだった。
そのアダム荒川の最後の地が富岡城の二の丸駐車場付近の小高い丘にあります。
公園となっているその場所に石碑が建てられ、ローマ法王べネディクト十六世により栄誉ある「福者」に列する188名の殉教者のひとりとして認められました。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 富岡城跡の駐車場から下手に下りる道の先にあります。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- ほとんど人混みは有りません。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 石碑があるのみですがキリスト教に身を捧げ信仰を貫いて殉教したアダム荒川のソウルを感じることが出来ます。
クチコミ投稿日:2015/06/03
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