長宗我部の御曹司戦死の地
- 5.0
- 旅行時期:2014/04(約12年前)
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by bluejaysさん(男性)
大分市 クチコミ:8件
長宗我部信親は身の丈六尺一寸(184センチ)、容貌は色白く柔和にして、長身の美男だったと言われる。織田信長は信親の噂を聞き、養子に迎えたいと述べたという。信長を烏帽子親として「信」の字と、左文字の銘刀と馬を与えられた。
信親は、戸次川の戦いにおける仙石秀久の作戦を無謀と非難し、「信親、明日は討死と定めたり。今日の軍評定で軍監仙石秀久の一存によって、明日、川を越えて戦うと決まりたり。地形の利を考えるに、この方より川を渡る事、罠に臨む狐のごとし。全くの自滅と同じ」と語ったという。四国勢は島津勢の釣り野伏せに引っかかり、仙石秀久らが逃走したことで信親は敵中に孤立し、戦死する。
長宗我部信親終焉の地には、近年になって地蔵と鎮魂碑が建てられたが、彼の最期の地は近くの竹薮であり、そこに入ると祟りがあると伝えられている。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 利光バス停すぐ
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/03/04
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