「日本三奇」の一つ、石の宝殿
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- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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by まいこさん(男性)
加古川・播磨・高砂 クチコミ:6件
JR宝殿駅から徒歩15分ほどの所にある、石切場となっている山の中腹に位置する神社です。本殿の奥にある巨石がご神体なのですが、誰がいつどうやって作ったか全く分かっていないという、古代のミステリーの一つです。塩釜神社のお釜、霧島の天の逆鉾と並んで、「日本三奇」と呼ばれています。実際、何でこんなものを作ったのか、現代でも理解に苦しむものがありますが、万葉集の時代には既に由緒不明になっていたらしく、神様が作ったという伝承が伝えられています(ヨーロッパの「悪魔の橋」に類するものでしょうか)。
以下、神社に掲げてあった由緒書きの写し。
石宝殿 生石(おうしこ)神社
一.社名 生石神社
一.御祭神 大己貴命(おほなむちのみこと 生石大神 大國大神ともいう)、少彦名命(すくなひこなのみこと 高御位大神 粟嶋大神ともいう)
一.創建 崇神天皇 十三年申日
一.祭礼 例祭十月十八日・十九日 春祭四月十二日
一.神式 神輿二体のからみ合わせ(十月十八日・十九日)
一.旧蹟 石ノ宝殿
三方断崖に囲まれ、地中に石殿横たわる。古びた樹木が丈夫に生い茂っている。四方三間半(約6.3m)棟へ二丈六尺(約7.8m)日本三奇の一つで御祭神の作と言い伝えられる。
三奇とは塩釜神社の塩釜、霧島山の天の逆鉾、石の宝殿である。俗に浮き石という。
この浮くは石工の用いる言葉で、岩にひびが入る、即ち、割れ目の出来ることを意味している。即ち、石宝殿と台石のの間にひびが入っているので浮石という。
一.沿革 大己貴命 少彦名命 天神(あまつかみ)の勅命で国土経営のため出雲から当地に立寄りになり、この宝殿山に仮宮を作って御滞在された時、この石宝殿を刻まれた。
工事中に天佐久売(あまのさくめ)がやってきて、今麓の里で阿賀神(あがのかみ)が反乱を起こしていると二神に告げたので、石宝殿作りの工事は中止して今の神爪(神詰で神爪の名称の起こりという)に諸神を集めて阿賀神を平定されたが石宝殿作りの工事は捨てられたので未完成に終わった。
この工事で生じた石屑は一里北の高御位山に捨てられた。高御位の北側に頂上から麓にかけて莫大な石屑が今尚あり、魚の象(かたち)になっている。この附近には岩を切ったあとかたは全くない。
崇神天皇十三年に創建されて以来、伊保荘、平津荘の鎮守として崇められ、孝徳天皇は白雉五年 千石の土地(現在の生石、神爪、島の土地併せて千石)を寄付されたのでこの三ヶ町は墓地をいみ、生石は魚橋、神爪は岸、島は米田に墓地を作り、宮百姓と称していたので大いに栄えていたが、天正年間豊臣秀吉の焼討ちに逢い、土地は没収、鐘楼、釣鐘は分捕りされ、当社の宝物、古文書は焼失し没落した。
鐘は陣太鼓代わりに使用した後、岐阜県大垣市赤坂町の安楽寺に寄付した(この鐘は大垣市の指定文化財となっている)。鐘には播州石宝殿と寄進者の名が入っている。
荒井川はもと御手洗川と称し、神々が手を洗われたと伝える。泊は神々がお泊りになったので、とまりの名称が出来たと伝えられ、今日の加古川泊の名の起こりという。
大汝 少彦名将座 志都の石屋者 幾代将経 (おおなむち すくなひこなのいましけむ しづのいわやは いくよへぬらむ) (万葉集)
たまにきて またこむことのかたければ なごり生石の石のみあくら
みるからに とうとかりけるはりまなる しづのいわやの神のふるさと
うごきなき 千代万代の宝とて 石のみやいは つくりけらしも
高砂市
高砂市観光協会
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2014/06/02
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