機雷除去作業に命賭けた掃海艇乗組員の物語 慰霊碑が金比羅宮参道階段右 掃海殉職者顕彰碑
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- 旅行時期:2013/04(約11年前)
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by kirstiNorgeさん(非公開)
琴平・金刀比羅宮周辺 クチコミ:1件
1.訪問の経緯
金比羅さんは四国一周の旅の途中で訪問
2.慰霊碑の存在発見
長い階段を階段の左側に偶然慰霊碑を発見した。
3.終戦後の掃海の必要性
第二次大戦の末期、日米両軍特に米軍が東京湾、瀬戸内海、伊勢湾等の海上輸送航路に大量に敷設した。この結果海上輸送に依存するわが国は食料の輸送が困難となっていた。終戦後は早急にこれらの機雷を残らず排除し、海上交通の安全を確保することが日本国の課題であった。当時の掃海従事者は、食料の輸入を確保し、国力を回復させ、今日の日本の繁栄の基礎を築いた。
4.尊い犠牲者約80名
第二次大戦前後及び朝鮮戦争における犠牲者も含まれる。
5.朝鮮戦争への参戦
朝鮮戦争中は北朝鮮が米軍の上陸を阻止するために沿岸に多数の機雷を設置した。この除去を当時の占領軍の命に依り、戦火の中で機雷除去作業に従事したのが現海上自衛隊の掃海部隊である。戦闘中に一名の尊い犠牲を出している。この掃海作業なくして、米軍の上陸は可能であったのであろうか。さらには朝鮮戦争が一方的な北朝鮮の勝利になっていたのではないだろうか。
6.慰霊祭の開催
毎年5月に慰霊祭が開催されている。
韓国海軍の出席はない。韓国で開催される朝鮮戦争停戦記念日において日本国の代表又は海上自衛隊掃海部隊の代表が招かれた話はない。
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
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- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
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クチコミ投稿日:2014/03/25
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