立派な像をみるにつけ、清正の偉大さが伝わってくる。
- 4.0
- 旅行時期:2011/09(約14年前)
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by モッサンさん(男性)
熊本市 クチコミ:5件
行手橋のたもとにあり、像の案内板には城内への重要な登城口である現在地に移設とある。陣羽織に特徴のある長烏帽子を被り、手には采配を持って床几に座っている立派な像である。清正はわずか満49歳の若さで、誕生日と同じ日に亡くなっている。清正が肥後熊本藩の領主になったのは1588年26歳の若さの時であり19万5千石であったが、1611年に熊本城で亡くなるまでの23年間で52万石となっている。清正は築城の名手として名古屋城、江戸城等の数々の築城に携わっており、この面だけが強調されるきらいがあるが、熊本における都市設計、治山治水による新田造成等において数々の成果を上げており、単なる武将ではなく有能な治世者であったことが伺える。清正の遺言である「後の世の為に、後の人の為に」にもこのことがよく現れており、心を打たれる。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/02/24
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