実は、豊臣秀吉はんを祀った“隠れ太閤さん”の聖地だ!
- 4.5
- 旅行時期:2014/01(約12年前)
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by 阿蘇美忍さん(男性)
東山・祇園・北白川 クチコミ:8件
後白河法皇が法住寺殿を造営して、厄除けの為に、
比叡山東坂本の「日吉山王七社」を勧請したのが始まりと言われています。
社地は転々としていて、当初は智積院南側に創建されたが、
江戸時代になって豊国廟社が壊されたのと同時期に旧廟前に移る。
さらに明治30年(1897年)に現在の場所に移っている。
後白河法皇ほか、皇居守護神山王七柱を祭神として祀り、酒造、医薬、縁結びの神として信仰を集めている。
数多くの遺物や天皇の宸筆(直筆)を所蔵しているほか、
江戸時代の歌人で国学者の小沢蘆庵をはじめ、
多数の近世文学資料を「蘆庵文庫」の名で保存している。
又、境内にある樹下社は「豊国神社」とも呼ばれる。
この樹下社に、秀吉信仰をする人々が訪れた。
かつて新日吉神宮が、豊国廟社の跡地に建っていたこと、樹下社の「樹下」と、豊臣秀吉の旧名・木下藤吉郎の「木下」が同じ“音”を持っていることが、理由のひとつだ。
そして、新日吉神宮の神使いが「猿」なのも、“サル”と呼ばれた秀吉との接点なのか?
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 社員・団体旅行
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2014/01/30
いいね!:5票
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