旧石山本願寺とされる真宗大谷派天満別院
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- 旅行時期:2013/05(約13年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
キタ(大阪駅・梅田) クチコミ:257件
天満天神繁昌亭に近い旧石山本願寺とされる真宗大谷派天満別院は銅丸屋根の本堂が目を引く。
石山本願寺を退去し和歌山から貝塚と転々としていた11代顕如の本願寺は1585年淀川沿い(現在造幣局の辺り)の南北7町、東西5町という広大な土地を秀吉から与えられて天満本願寺(川崎本願寺)の御堂を再建、一旦大坂に落ち着いている。
しかし数年後の1591年、秀吉から京都西六条堀川に移るように命じられ、天満本願寺の御影堂(10間四方)は解体されて京都に移設され翌1592年、11代顕如が急逝すると長男教如が12代を継いだが1593年教如は秀吉によって隠居させられ3男准如が継ぎ隠居した教如は1596年に大坂に移って道修町にあった大谷本願寺に入り、1598年に難波御堂(現在の南御堂)の土地を受け1599年に難波御堂本堂の建築に着手。現在の真宗大谷派天満別院は豊臣時代の天満本願寺の土地ではなく、26年後の豊臣末期に移転した「佛照寺」の場所とされている。戦乱期の混乱の中をしたたかに生き残った本願寺の歴史を物語る話だ。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/09/25
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