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綱敷天神社 御旅社

寺・神社・教会

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北野(喜多野、喜多埜)天神とも通称されている綱敷天神社(つなしきてんじんしゃ)

  • 3.5
  • 旅行時期:2013/05(約13年前)
さすらいおじさんさん

by さすらいおじさんさん(男性)

キタ(大阪駅・梅田) クチコミ:257件

綱敷天神社(つなしきてんじんしゃ)は、大阪市北区神山町にある神社で北野(喜多野、喜多埜)天神とも通称されている。
社伝によれば創建は平安時代、摂州菟餓野に嵯峨天皇が行幸した縁により、皇子の源融が天皇崩御ののち追悼のためこの地に七堂伽藍を興し太融寺を創建。嵯峨天皇を祀る社として「神野太神宮」を併せて創建したとのこと。
後に菅原道真が無実の罪で大宰府へ左遷の折この地に着いたところ一本の紅梅が咲き匂っており、この梅を眺めるため船の艫綱(ともづな)をたぐりよせ即席の座席としたことが「綱敷(つなしき)」の名の由来となるという。 地元の者より「ゆりわ」という器に団子を盛って道真にすすめたところ道真は喜び今も大事な神事の折にはこの「ゆりわ」に団子を盛って供えるそうだ。 追従の老臣度会春彦の孫、春茂以下六名の者を集めさせこの地に留まるように伝え道真より白江の姓を賜り別れたとされている。
道真は大宰府の地にて死去し一族は道真の愛でた紅梅の元に小祠を営み梅塚と称して道真を祀った。正暦4年に道真の無実の罪が解かれ朝廷より正一位太政大臣を追贈された折、この小祠と嵯峨天皇を祀る「神野太神宮」とを併せて祀るために社殿を建立、現在まで春茂の子孫白江家は神職として綱敷天神社に奉仕しているとのこと。

施設の満足度

3.5

アクセス:
3.5
人混みの少なさ:
4.0
バリアフリー:
3.5
見ごたえ:
3.5

クチコミ投稿日:2013/08/06

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