直江兼続が初めて城主になった与板城跡
- 3.5
- 旅行時期:2009/04(約15年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
長岡・寺泊 クチコミ:41件
与板城(よいたじょう)は、新潟県長岡市与板町にあった直江家の居城だった。上杉謙信(うえすぎ けんしん1530−1578年)の死後、養子の上杉景勝(うえすぎ かげかつ1556−1623年)と上杉景虎(うえすぎ かげとら1554−1579年)とが家督相続争いをした内乱・御館の乱(おたてのらん1578年)が勃発した。上杉景勝が勝利したが与板城主直江信綱(なおえ のぶつな 生年不詳 – 1581年)は恩賞に不満を持った毛利秀広(もうり ひでひろ・生年不詳 – 1581年)によって春日山城で殺害された。直江信綱は跡取りがなかったため上杉景勝のはからいで樋口兼続が婿入りし、未亡人・お船の方(おせんのかた1557−1637年)と結婚して直江兼続(なおえ かねつぐ1560−1620年)として城主になった。与板城は1598年に上杉家が会津に転封となった際廃城となっている。
アクセス――長岡駅大手口バス停12番線より与板行きバス乗車「与板仲町バス停」下車 与板城入り口まで徒歩20分・関越自動車道長岡I.C.より車で20分・北陸自動車道中之島・見附I.C.より車で10分
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2012/12/08
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