ヤマト政権の中心だったとされる三輪山
- 4.0
- 旅行時期:2009/12(約16年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
桜井・三輪・山の辺の道 クチコミ:16件
三輪山は、縄文時代又は弥生時代から、自然物崇拝をする原始信仰の対象であったとされており古墳時代に山麓地帯に大きな古墳が作られた。この一帯を中心にして日本列島を代表する政治的勢力・ヤマト政権の初期の三輪政権(王朝)が存在したと考えられている。200から300メートルの大きな古墳が並び、そのうちには第10代の崇神天皇(行灯山古墳)、第12代の景行天皇(渋谷向山古墳)の陵があるとされ、箸墓古墳(はしはかこふん)は『魏志』倭人伝に現れる邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかと推測されている。『記紀』には、三輪山伝説として、奈良県桜井市にある大神神社の祭神・大物主神(別称三輪明神)の伝説が載せられている。よって、三輪山は神の鎮座する山、神奈備とされている。
JR三輪駅から登拝口まで徒歩15分。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
クチコミ投稿日:2012/08/10
いいね!:3票
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