本丸の石垣と堀の一部が残っている淀城(よどじょう)跡
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- 旅行時期:2012/05(約14年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
伏見 クチコミ:48件
淀城(よどじょう)は、京都府京都市伏見区淀本町にあった城で江戸時代には、松平氏、戸田氏、稲葉氏など譜代大名が居城したが現在は、本丸の石垣と堀の一部が残っているのみだ。
淀城は京阪電車淀駅に面しており、安土桃山時代豊臣秀吉が側室・淀殿(ちゃちゃ、生年不明―1615年)の産所とした城は淀古城とも呼ばれ妙教寺境内に本丸があったとされるが現在の位置より北へ約500mの位置にあった。
淀駅そばの城は鶴松死後に拾丸誕生後養子となっていた豊臣秀次が謀反の疑いを掛けられた際、城主であった木村重茲の連座とともに廃城とされた。
江戸時代に、木幡山にあった徳川氏の伏見城の廃城により、その代わりとして江戸幕府が松平定綱に命じて新たに築かせ山城国唯一の大名家の居城として明治に至った。
幕末、旧幕府軍は鳥羽・伏見の戦いに敗北して淀城に籠もろうとするが、淀藩に拒絶され官軍の勝利に一役買うことになったが淀藩の消滅に伴い淀城は廃城となった。
淀城跡公園は、淀城本丸や石垣を利用した公園で1968年に開園している。
石垣は京阪電車本線淀駅ホームから見える。淀城跡公園は京阪電車本線淀駅下車 徒歩約5分。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2012/06/26
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