1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 関東地方
  4. 群馬県
  5. 高崎
  6. 高崎 観光
  7. 観音山公園
  8. クチコミ詳細
高崎×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記
Q&A

観音山公園

公園・植物園

観音山公園 施設情報・クチコミに戻る

高崎観音山公園(矢島八郎翁銅像)〔銅像〕

  • 4.5
  • 旅行時期:2012/01(約14年前)
横浜臨海公園さん

by 横浜臨海公園さん(男性)

高崎 クチコミ:35件

矢島八郎(やじま はちろう)翁(嘉永3年(1850年)12月30日〜大正10年(1921年)9月7日)は、近代高崎発展の基礎を確立させた人物。
現高崎市あら町の傳馬問屋長男として生を受ける。
その後、傳馬屋は明治期以降、他傳馬屋を統合し 遊龍軒(ゆうりょけん)の名称で代表となり高崎-東京間の郵便馬車等の運行に発展した。
然るに、日本鐵道が東京上野-高崎間の鉄道敷設を決定した事を知るや、将来の輸送は馬車から鉄道主体になる事を見抜き、殆どの者が鉄道建設に反対する内で、矢島のみ建設賛成し、更に、高崎停車場開業に伴い、自身が所有する下和田町内土地を日本鐵道に無償提供し協力した。
地元では土地提供者に因み停車場付近一帯を矢島町と命名しようとしたが,矢島が固辞し、末広がりを意味する八島町命名に落着く。
明治25年(1893年)の第2回衆議院選挙に群馬県全権区から立候補し当選、憲政会に所属。
明治33年(1900年)月日に推挙され初代高崎市長に就任したが、高崎市に於ける上下水道整備や電気整備を施行し、更に、明治37年(1905年)の高崎大火復興整備後に於ける高崎市近代化に貢献した。
矢島八郎翁没10年の遺徳を偲び、昭和5年(1930年)3月20日に全身銅像が高崎観音山に建立された。
大東亜戦争中の金属回収令に拠り銅像本体は撤去され台座が残存していたが、大東亜戦争後に再建の儀が起こり昭和29年(1954年)9月7日に再建された。
銅像は高崎市街を見下ろしつつ高崎の発展を見守っている。



高崎観音山公園〔矢島八郎翁銅像〕(たかさき かんのんやまこうえん やじま はちろう おう どうぞう)
高崎市石原町2375
上信バス観音山停留所降車 徒歩5分

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
1.5
人混みの少なさ:
5.0
バリアフリー:
5.0
見ごたえ:
3.5

クチコミ投稿日:2012/04/13

いいね!:53

利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する

PAGE TOP