山崎聖天(やまざきしょうてん)参拝に便利な阪急大山崎駅(おおやまざきえき)
- 3.5
- 旅行時期:2009/11(約16年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
長岡京・向日 クチコミ:11件
大山崎駅(おおやまざきえき)は、京都府乙訓郡大山崎町の阪急電鉄京都本線の駅でJR京都線山崎駅へは、250m程の距離。
阪急電鉄 京都本線 大山崎駅 徒歩約10分ほどで行ける。JR西日本 東海道線 山崎駅からも同じくらいの距離。
周辺には山崎の合戦跡、水無瀬神宮、桜井駅跡、アサヒビール大山崎山荘美術館、宝積寺、山崎聖天、天王山、サントリー 山崎蒸溜所などがある。
山崎聖天(やまざきしょうてん)は、京都府大山崎町の真言宗・観音寺の通称で899年に宇多天皇(うだてんのう867−931年)が創建したとされている。
宇多天皇といえば、藤原時平(ふじわら の ときひら871−909年)と菅原道真(すがわら の みちざね845−903年) を重用し888年に仁和寺を創建した天皇。
897年に醍醐天皇(だいごてんのう885−930年)に譲位し、仁和寺に入って宇多法皇と称したが901年の昌泰の変(しょうたいのへん)では左大臣藤原時平の讒言により醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰権帥として大宰府へ左遷した。このとき宇多法皇は菅原道真の左遷を止めようとしたが醍醐天皇・藤原時平派の政治的勝利に終わった。だが菅原道真の左遷後、道真の怨霊の仕業と考えられている清涼殿落雷事件などの天変地異が起こり時平が急死、醍醐天皇も病気がちとなり政治権力の中心は再度宇多法皇と藤原忠平(ふじわら の ただひら880−949年)に戻った。菅原道真は宇多法皇派と醍醐天皇派の政権争いの被害者といえるだろう。
したがって山崎聖天は宮廷の政権争いの最中に創建されたことになる。
山崎聖天は江戸時代に歓喜天(かんぎてん)を鎮守として祀り、特に商人から信仰された。残念ながら1864年の禁門の変(きんもんのへん)で建物は焼失し明治時代に再建されている。
桜の名所だが、山崎聖天に向かう石段周辺のうっそうとした森の紅葉もなかなかのものだった。
- 施設の満足度
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3.5
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
クチコミ投稿日:2012/01/25
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