清見寺〔寺院〕
- 5.0
- 旅行時期:2011/11(約14年前)
-
-
by 横浜臨海公園さん(男性)
清水 クチコミ:19件
清見寺(せいけんじ)は、臨済宗妙心寺派に属し、正式名は「巨鼇山興國禅寺」と称する古刹で、天武帝(てんむ てんのう)御在位時に蝦夷防備の為に清見関設置の際に鎮護関寺として佛堂が建立されたのが草創とされる。
開山は、弘長元年(1261年)円爾弁円の無傳聖禅が行ったが、清見寺が世に知らしめたのは、足利尊氏(あしかが たかうじ)(嘉元3年(1305年)8月18日~延文3年(1358年)6月7日)の崇敬を受け、康永年間(1342~44年)に伽藍、及び、利生塔が建立し、此の時に寺名が現行名に改称された。
至徳3年(1386年)には、第3代将軍 足利義満(あしかが よしみつ)(延文3年(1358年)9月25日~応永15年(1408年)5月31日)に依り、全国10刹の第7位に列せられた。
然るに、足利将軍家の没落と共に清見寺は荒廃に荒廃を重ねたが、戦国大名今川家の保護を受けるに及び、妙心寺派に転じて以降、慶長4年(1599年)に駿府城主中村家家老 横田村詮に依り寺領200石余が安堵され徳川将軍家保護の下、幕末に至る。
延宝3年(1675年)に於ける末寺帳に拠れば清見寺末寺は108寺を数えたが、明治維新と共に清見寺も廃仏毀釈の影響を受け、改宗、及び、廃寺を生じせしめ、昭和17年(1942年)の時点で末寺73寺を数えた。
明治20年代になり日清間の雲行きが怪しくなりつつある頃、政府は地形状に於ける諸条件から急勾配を伴う中仙道線建設を後回しし、横濱から西進させる事で東京関西間連絡鉄道建設を決定し直ちに着手したが、國府津-沼津間は明治22年(1887年)2月1日に開通した。
然し、興津町内狭隘地通過に関し、現代であれば長大隧道建設を以って対処したであろうと推定されるが、当時の我が国に長大隧道建設工事能力は存在せず、且つ、明治維新時の廃仏毀釈の風強き内、工事担当の工部省鐵道作業局は已む無く清見寺境内を貫通する事で解決を見る。
此の為に、内務省は清見寺に対し補償金を支払ったが、当時の住職は「此の國難の時にお上から資金を頂く訳にはならぬ」と補償金全額を政府に献上した。
清見寺庭園は国指定名勝
重要文化財として宗版石林尚書傳
県指定文化財として白隠直筆達磨像
正和3年(1314年)7月鋳銘 梵鐘
等々を有する。
静岡市清水区興津清見寺町418
東海道本線興津駅 しずてつジャストライン清見寺前停留所降車 徒歩1分
http://seikenji.com/
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 1.5
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2011/11/26
いいね!:38票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する