出島とならぶ居留地・唐人屋敷
- 3.5
- 旅行時期:2011/06(約13年前)
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by 悠太郎さん(男性)
長崎市 クチコミ:14件
倭寇の時代から平戸を初めとする九州各地に中国人が散在していました。長崎に出島を作るおりに九州に散っていた中国人も長崎に集められたのです。当初、中国人は日本人と混在して住んでいました。しかし、密貿易やキリシタンの布教を恐れた幕府は、1688年長崎郊外にある十善寺郷に幕府が所有する御薬園の土地で唐人屋敷の建設に着手し、翌年完成させたのです。広さは約9,400坪に及び、2,000人程度の収容能力をもつ。現在の長崎市館内町の地です。周囲は塀と堀で囲まれ、大門の脇には番所が設けられ、出入りを監視されていました。ただ出島のオランダ人が厳重に監視されたのに比べ、中国人は比較的自由に出入りが許されたといわれています。当時の長崎の人口は6万人超。そのうち1万人が中国人だったと言われています。唐人屋敷建設と共に、そこに住むのは商業に従事する男性だけで、女性・子供は所払いされたようです。
現在は、唐人屋敷自体は残っていません。主な史跡は、天后堂、観音堂、福建会館、孫文の銅像、土神堂といった市指定史跡を巡ることで、雰囲気が掴めると思います。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2011/06/28
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