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纒向遺跡

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邪馬台国の女王、「卑弥呼の宮殿」と邪馬台国畿内説の学者が予測する纒向(まきむく)遺跡

  • 4.5
  • 旅行時期:2009/12(約16年前)
さすらいおじさんさん

by さすらいおじさんさん(男性)

桜井・三輪・山の辺の道 クチコミ:16件

2009年11月に纒向(まきむく)遺跡で現地説明会が行われた大型建物跡(3世紀前半)は邪馬台国の女王、「卑弥呼の宮殿」ではないかと邪馬台国畿内説の学者たちが予測している。三輪山一帯は卑弥呼の墓ではないかといわれている箸墓古墳(はしはかこふん)をはじめ、弥生時代や古墳時代の前方後円墳などの古墳が多く残っておりヤマト王権の都だったと考えられ、さらに「卑弥呼の宮殿」と考えられる建物跡が発見されたことから、邪馬台国が三輪山一帯にあったとする説が日増しに強くなっている。
纒向遺跡(まきむくいせき)は三輪山の北西麓一帯に広がる弥生時代末期から古墳時代前期にかけての遺跡群で前方後円墳発祥の地とされている。
纒向遺跡からは農業用の大型水路や土抗の中から三輪山祭祀に関する遺物が多数見つかり、石塚古墳周濠からは祭祀遺物弧文円板(こもんえんばん)などが出土しており三輪山が3世紀以前から神の山であったことを証明している。
纒向遺跡には纒向勝山古墳(まきむくかつやまこふん) 、纒向矢塚古墳(まきむくやずかこふん) 、纒向石塚古墳(まきむくいしずかこふん)、東田大塚古墳(ひがいだおおつかこふん)、箸墓古墳(はしはかこふん)、ホケノ山古墳など邪馬台国と時期が重なる3世紀頃に築造されていたと考えられる古墳が多く残っているが、埋没した古墳がたくさんあると考えられている。
『記紀』では崇神天皇(すじんてんのう・紀元前148−紀元前29年)・垂仁天皇(すいにんてんのう・紀元前69年−紀元後70年)・景行天皇(けいこうてんのう・紀元前13年)−紀元後130年)の磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)、纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)、纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)が存在したと伝えており、纒向遺跡はヤマト政権発祥の地と考えられ邪馬台国の結論は別にしても弥生時代から古墳時代の日本の中心都市のひとつであったことは間違いないだろう。
2千個超える“魔よけの果実”発見 奈良の纒向遺跡---http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100917/acd1009171959002-n1.htm
日本の旅 関西を歩く 奈良、桜井市の纒向(まきむく)遺跡周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10416189/

(写真は卑弥呼の宮殿ともいわれる大型建物跡)

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
家族旅行
アクセス:
4.0
JR桜井線巻向駅から徒歩約5分
人混みの少なさ:
4.0
バリアフリー:
1.5
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2010/11/13

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