兵庫、住吉神社前の清盛塚十三重石搭
- 3.0
- 旅行時期:2009/11(約16年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
神戸 クチコミ:87件
平 清盛(たいら の きよもり1118−1180)は1168年に神戸・福原の現神戸市立湊山小学校付近に別荘雪見御所(ゆきみごしょ)を造営して日宋貿易の拡大に努めた。1180年には平氏の拠点で国際貿易港の大輪田泊(おおわだのとまり)の一角に福原遷都を強行した。
だが、源頼朝(みなもと の よりとも1147−1199年)、源義仲(みなもと の よしなか1147−1199年)ら源氏一族の勢力拡大への対策に追われ、わずか半年で京都に都を戻したがまもなく清盛は病死した。
清盛なき平氏は勢力が衰える一方で清盛の死後わずか5年の1185年、壇ノ浦の戦いに敗れて平氏は滅亡した。
平清盛が修築した大輪田泊(おおわだのとまり)は神戸市兵庫区の現在の神戸港西側の一部にあったが平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて日宋貿易で栄えた。平清盛が神戸港の基礎を築いたことは現代に繋がる大きな功績だろう。
住吉神社は1877年に兵庫津に新川運河が完成した際、海の守護神である 住吉大神を大阪の住吉大社 より勧請して創建されている。
兵庫運河に架かる清盛橋の袂、住吉神社前にある高さ約8.5mの清盛塚十三重の塔は1286年に建てられた供養塔。清盛塚・十三重の塔に隣接する琵琶塚は、もとは前方後方式の古墳石だそうで一ノ谷の戦いで17歳で討たれた悲劇の少年・平敦盛(たいら の あつもり1169−1184年)の兄で平家物語に琵琶の名手として登場している平経正(たいら の つねまさ、生年未詳−1184年)に結びつけて琵琶塚(経正塚)と呼ばれるようになったそうだ。
琵琶塚の横に建つ平清盛像は1968年に建てられている。清盛像の建造は平清盛が神戸港の基礎を築いたことへの神戸の人たちの感謝の気持ちなのだろう。
清盛塚と琵琶塚---http://kobe-mari.maxs.jp/kobe/kiyomorizuka.htm
日本の旅 関西を歩く 兵庫、住吉神社前の清盛塚十三重石搭周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10403673/
(写真は兵庫、住吉神社前の清盛塚十三重石搭周辺)
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 2.5
- JR兵庫駅から南へ徒歩15分
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 2.5
クチコミ投稿日:2010/11/10
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