平清盛、平安時代末期に武家である『平氏』の隆盛を極めました。清盛が建立したとされることが多い厳島神社ですが、伝承によると飛...
続きを読む鳥時代に作られたものだそうです。有力豪族であった佐伯鞍職(さえきのくらもと)が社殿造営の神託を受け、勅許を得て社殿を創建したことに始まるとされています。そして代々の神主は佐伯氏が世襲することになりました。
平清盛が安芸守としてこの『厳島神社』を崇拝し、多くの寄進をしています。また当時の神主である佐伯景弘(さえきのかげひろ)は郷司・地頭となって神宮の経営に関与し、平清盛との繋がりを密接にしていきます。源平の戦いに於いては平氏方についた景弘でしたが、平氏滅亡後は源頼朝に従い、神主の立場を守り続けました。
神宿る島として戦いや平氏の繁栄を願い、厳島神社を大切にした平清盛。その信心深さからか平氏は繁栄を極めますが、清盛の没後は台頭してきた源氏に押されることとなり、壇之浦の戦いで滅亡しました。
生前の清盛は平氏の隆盛は『永続的』なものと考えていたようです。しかし清盛没後僅か4年で滅亡したことは『おごり』からでた弛みを、神の力をしても守ることはできないという『戒め』のようにも思います。安芸の国広島では平清盛に纏わるものがたくさん作られています。この厳島の像もそのひとつですが、今の景色と平氏の衰退をどう見ているのか聞いてみたいとふと思いました。
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投稿日:2017/09/09