徳川家康最後陣跡 床几場
名所・史跡
3.36
徳川家康最後陣跡 床几場 クチコミ・アクセス・周辺情報
関ヶ原・垂井 観光 満足度ランキング 7位
徳川家康は合戦当日の午前11時頃、戦況が把握できないため、桃配山から笹尾山の「石田三成」の陣の正面であるこの陣地に本陣を移しました。一説には、ここから松尾山の「小早川秀秋」を鉄砲で威嚇したとも言われています(問鉄砲)。関ケ原合戦後には、床几場で首実検が行われました。その後、幕府の命を受けた領主の竹中家により周囲の土塁や中央の土壇が築かれました。土壇中央には「床几場(しょうぎば)徳川家康進旗験馘處」と刻まれた標柱が建っています。「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」 ※意味) 戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦い、国土が穢れている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土を願い求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成す。 徳川家康「厭離穢土欣求浄土」の考え方
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
石田三成の笹尾山の陣の正面に後の陣を敷いています。
5.0
- 旅行時期 2024/01
- by hijunoさん
関ケ原の合戦の午前11時ごろには、最初の陣のあった桃配山からこの場所に陣を移しています。ここは笹尾山の石田三成の陣の正面に... 続きを読むあたるところです。床几場もあったところです。床几場の床几に座って自ら首実検を行ったといわれています。 閉じる
クチコミ・評判 2ページ目
21~30件(全31件中)
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歴史の舞台です。
- 4.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
- 1
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広い公園になっています
- 4.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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徳川の幟など当時の雰囲気が残ってます
- 3.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
- 0
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広い敷地
- 3.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
- 0
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敵の首を並べたところでもあります
- 4.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
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徳川家康最後陣跡:土塁に囲まれた
- 2.0
- 旅行時期:2017/03(約9年前)
- 0
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最初の陣からかなり前進
- 3.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
- 0
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東軍大将・最後の戦いの陣
- 4.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
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陣を前に移す
- 3.0
- 旅行時期:2015/10(約10年前)
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全軍を鼓舞するためにあえて
- 4.0
- 旅行時期:2015/07(約11年前)
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投稿写真
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