元寇の碇石
名所・史跡
3.21
クチコミ・評判
1~3件(全3件中)
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萩にもあるとは意外でした。
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- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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どうしてここにあるのでしょうか。
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- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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歴史ロマンを感じる元寇の碇石を見に行きました
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- 旅行時期:2014/07(約11年前)
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萩市は歴史の街だと言われますがその多くは江戸時代後期から明治の遺跡や史跡が主でそれ以前のものは少ないのですが元来、毛利氏が... 続きを読む今の堀内地区に萩城を築くまでは三角州を始めとする旧萩市内が萩市の中心ではなく、弥生時代には萩市内の海岸沿いを北上した大井地区が栄えていたようで、日本書紀には阿武郡として登場します。
今も阿武郡は残っていますが平成の大合併でその多くは萩市に編入され、阿東町が山口市になり、今は阿武町が残るのみ。
さて阿武町のお隣の大井は昭和30年までは大井村と呼ばれていたそうです。
その大井には色々と史跡があるのですが、その中でもインパクトが強いのが『元寇の碇石(げんこうのいかりいし)』です。
ただの石ではなく切り欠き状の加工が施されています。
それは何だって響きですが、碇石とは木製の碇に付ける重石のようなものです。
元寇の時に元の船や迎え撃った日本の船に使っていたと思われるものでその材料に使われた石の種類で産地がわかるようです。
元寇といえば文永の役と弘安の役ですがこの石は必ずしもそのどちらかに使われたという確かな証拠があるわけではなく、その時代の船に使われていただけかもしれないとのことです。
しかし、江戸時代には『えびす石』として祀られていた言いますし、現在の設置場所も荒人神社の参道の横であり、えびす石のえびすは元来、海の神と言われていて何らかの神がかり的なものがあったと推測されるそうです。
元寇の碇石と言われるものは全国で38ヶ所、40個もの数が発見されていますがそのほとんどが九州の日本海側で他には山口県に2ヶ所あるのみとのことです。
そのひとつがこの大井にある『元寇の碇石』なんです。
これって凄いことだと思うんですが地元大井の人以外には案外知られていません。
案内看板もそれなりにはあるのですが甚だ不親切で途中の一番知りたい位置に案内板がなく危うく迷うところでした。
荒人神社参道の近くにあると色々なサイトにはあるんですが肝心の参道が見当たらなませんでした。
そんな時、線路の向こうに鳥居が見えたのでやっとわかりました。
まさか、参道を線路が遮っているとは思いませんでした。
因みに、元寇の碇石の前の道路は車の離合が困難なほど狭い道路で駐車場もありませんので荒人神社付近のスペースに駐車した方がいいと思います。 閉じる投稿日:2015/02/18
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