岩殿寺(岩殿観音)
寺・神社・教会
3.31
クチコミ・評判
1~14件(全14件中)
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山岳寺院か札所的な雰囲気も
- 3.0
- 旅行時期:2025/04(約9ヶ月前)
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頼朝が度々訪れた寺
- 4.5
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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生き物の声が響く異世界
- 3.0
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
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坂東二番観音霊場 岩殿寺
- 4.5
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
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鎌倉から逗子に向かっている時に名越隧道(小坪トンネ)を抜けて左折し(横須賀線の踏切;県道205号)久木地区を通っている途中... 続きを読むに、木目の案内板`岩殿寺`を見つけました。
`札所の霊場`は聞いていましたので早速、ありました[坂東二番観音霊場 岩殿寺]の山門が! 隣の`岩殿寺縁起`ビックリ;後白河法皇が`坂東三十三所の第二番`/源頼朝が`御来印を下賜`/徳川家康が`田畑山林`,,♪ 納経所/観音堂に参拝、帰り際に`慈父観音/慈母観音`がありました;二体の観音様に会うのは初めてなので、亡き父母を思いながら参拝を,,。備考)住居間の車一台の通り路を乗って広い専用駐車場がありました。 閉じる投稿日:2019/10/28
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2番札所
- 3.0
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
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坂東三十三観音霊場第二番札所
- 4.5
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
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坂東三十三観音霊場の札所巡りで順番は逆になりますが三番の鎌倉の安養院から二番の逗子の岩殿寺へ徒歩で向かいました。安養院前の... 続きを読む一般道を進み途中3つのトンネルをくぐります。その後、横須賀線を横切る為に左折すべき所を見失い少し大回りしましたが50分程で岩殿寺に着きました。住宅地の突き当りに山門があり箱に入山料100円を納めます。正面の120余りの石段を上ると趣ある旧観音堂があります。ひっそりとした雰囲気です。観音堂脇には泉鏡花ゆかりの鏡花の池と呼ばれる小さな池がありました。堂の裏には奥の院岩殿観音があり岩窟に石仏が祀られています。ご詠歌に詠まれている「天の岩戸」です。参拝後、元来た石段を下りて右手に進むと札所本堂があります。御本尊は十一面観音ですが堂内には上がれません。堂内にある納経所で御朱印を頂きますが納経所は無人で先に参拝を済ませた3、4名の御婦人の一団が呼び鈴を押して御朱印の対応を頂きました。
閉じる投稿日:2018/10/05
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2番札所は地味な寺です
- 2.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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岩殿寺(岩殿観音) 坂東霊場三十三所第2番
- 3.5
- 旅行時期:2015/11(約10年前)
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坂東札所2番礼所のお寺です
- 4.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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たくさんのぼります
- 3.5
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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観音堂が寂れていてちょっと残念です。
- 3.0
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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板東三十三カ所第2番札所で、逗子駅から歩いて10分ほどのところにあります。鎌倉市からもそれほど離れているわけでもないのに、... 続きを読む鎌倉市内の喧噪とは全く縁がない、ひっそりとした風情です。ただ、静かで落ち着きのある感じ、とは若干異なっており、少し奥まったところにある観音堂などには人があまり訪れていないような印象すらあり、干上がった手水鉢、固く閉ざされたお堂の扉などをみるにつけ、なんか寂れてるなあという感想を抱いてしまいました。納経所を観音堂の横に設けるなどすれば観音堂の管理も行き届きやすいので、参拝する人も増えるとおもうのですが。
以下、山門脇に掲げられていた寺伝の一部。西国三十三カ所に関しては、まだ花山法皇が巡礼した、といわれれば、そういうこともあるかもしれんなあ、と思わなくもないのですが、さすがに坂東下向となると眉唾にもほどがあるので正直白けてしまうところもあります。箔をつけるためにビッグネームを持ってきたいというのはいつの世の中にもあることなのでしょうが、わざわざそんなことしなくても良いのにと思わざるを得ませんでした。
岩殿寺縁起
相州三浦郡久野谷郷(神奈川県逗子市久木)海前山岩殿寺(現在は海雲山岩殿寺となっている)の由来は皇統四十五代の聖武天皇の勅願による大和の国(奈良県)の長谷寺の開山本願徳道上人が、この地に下向されたときに始まる。それゆえ、当山は徳上、行基両聖人の開基といわれている。また、大悲殿前から南海を見渡せるので、当山海前(現代は海雲山)と名付け岩窟が自然の殿堂のようであったので、寺を岩殿寺と号したといわれる。
正暦元年庚寅春三月十七日六十五代花山法皇が来山され、ご自身導師とされて百僧法要御供養を営なまれた。従僧は仏眼上人、弁光僧正、良窓上人、元密上人、伝光僧都、満願上人、威光上人であった。
又、了安四年四月十八日七十七代後白河法皇が来山され、ここを板東三十三カ所第二番の霊場と長田眼になった。なお、源頼朝が蛭が児島にいた頃、文覚上人の勧めで、当時の本尊を厚く信仰し、夢に現れてお告げを蒙ることがしばしばあったという。戦乱の折り、敗色濃くなってからも、大悲の冥助を幾度も得て、立ち直れたと言うが、なかでも石橋山敗軍のときは、観世音が船人となって頼朝を房州崎に渡し、たちまち十一面観世音の妙容をあらわして、三浦の方にとび去ったという。頼朝は御報恩のため御来印を下賜され、治世の間は毎月欠かさず参拝されたという。文治三年正月二十三日には頼朝公の姫が参詣。建久二年子の二月には三浦義澄同六兵衛義村参詣。建久三年乙末の二月二十三日には頼朝公幕下参詣。建久三年巳卯の五月八日には後白河法皇四十九日の御仏事のため百僧集まり参詣。この折に南堂を補修する。承元三年五月五日には右大将実朝将軍参詣。寛喜二年十一月十一日、大破せる伽藍再建のため、大僧正院家並び十二院の別当が日夜法要を修行され、そのとき、鎌倉殿の命により僧西願に勧進して堂宇を再建、三代盟主三七日昼夜祈念したことが「東鑑」にも記されている。
しかし、その後また、ものかわり星うつりて七堂伽藍も荒廃し、寺院の面目もなかったものを東照神君(徳川家康)の御仁恵により境内ならびに田畑山林と御朱印を賜り、その徳沢に潤い、天正十九年十一月には県令長谷川七衛門長綱が荘厳なる堂宇を再建し、かつ申し請けて寺領五石の御朱印を賜ったという。
(以上「東鑑」「三浦群誌」「相模風土記」および土地旧家覚書による) 閉じる投稿日:2014/10/02
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泉鏡花ゆかり
- 4.0
- 旅行時期:2014/06(約12年前)
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雰囲気のいいお寺です
- 4.5
- 旅行時期:2013/12(約12年前)
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泉鏡花ゆかりのお寺
- 3.5
- 旅行時期:2012/12(約13年前)
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