普門寺
寺・神社・教会
3.30
普門寺 クチコミ・アクセス・周辺情報
高槻・島本 観光 満足度ランキング 25位
明徳年間(14世紀末)の創建。16世紀後半には、室町幕府の官僚・細川晴元や14代将軍の足利義栄も滞在し、普門寺城とも呼ばれていた。国の名勝に指定されている庭園は、阿武山を借景にした池泉式枯山水庭園で、小堀遠州の弟子・玉淵の作と伝えられている。方丈西面には昭和期の名園「心字の庭」も。国の重要文化財指定の方丈は柿葺きの屋根が美しい。内部の襖絵は狩野安信の水墨画、欠損していた襖には南画の大家・直原玉青画伯の「淀川右岸天王山鵜殿前島菖景」が描かれ、見応えがある。他に中国の高僧・隠元作とされる石畳の道、細川晴元の墓もなども巡りたい。樹齢200年といわれる沙羅双樹があり、6月上旬から中旬頃の開花期に特別公開される。
クチコミ・評判
1~9件(全9件中)
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禅寺です
- 3.5
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
- 1
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方丈・枯山水庭園など見どころがあるお寺です
- 3.0
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
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トリビアの連続
- 5.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 5
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臨済宗の古刹
- 4.0
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
- 0
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富田町では一番の見どころでしょう
- 4.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
普門寺は、富田町では一番の見どころでしょう。
有料エリアですが、境内奥には細川晴元の宝篋印塔。この寺は寺でありながら、元... 続きを読む管領、細川晴元が隠居する城郭でもあり、普門寺城とも呼ばれた巨刹。後には14代室町幕府将軍足利義栄がここで征夷大将軍に就いています。
宝篋印塔と並んでは、国の名勝にも指定された観音補陀落山の庭。ちょっと変わった石組みが残っていました。
ほか、証拠はないようですが、秀吉が中国大返しで戻ってきた際、ここに本陣を構えたのではないかということ。西国街道に近いし、近くにここ以外で大軍を収容するだけの施設はなかったからというのが理由。
お寺の方がそうしたことを詳しく説明してくれます。お茶とお菓子も出してくれるので、説明を聞いた後は方丈の縁側でゆっくりといただきました。 閉じる投稿日:2017/07/26
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酒の町富田の名刹
- 4.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
- 0
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拝観には事前予約が必要
- 3.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
- 0
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普門寺
- 3.5
- 旅行時期:2013/07(約12年前)
- 0
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「普門寺城」と呼ばれた臨済宗妙心寺派の寺院普門寺(ふもんじ)
- 3.5
- 旅行時期:2012/03(約14年前)
- 1
高槻市中心部の南西に位置する富田町は1476年蓮如によって富田道場が創建されて以来一向宗派一門の拠点として発展し寺内町を形... 続きを読む成していた。全国各地の一向宗勢力は時の領主と対立する一大勢力となり、富田も細川勝元(ほそかわかつもと1430−1473年)との一向一揆の戦いによって焼き払われてしまうが細川氏と本願寺の和解によって教行寺(富田御坊)が再興された。
富田町には臨済宗妙心寺派の寺院普門寺(ふもんじ)がある。
普門寺は1390年創建されたと伝えられるが1561年に元管領・細川晴元細川晴元(ほそかわ・はるもと1514−1563年).を隠居させるため城郭として築城され「普門寺城」と呼ばれ14代将軍足利義栄(あしかが よしひで1538−1568年)の居城になったことで知られる。
信長、秀吉の時代になると「富田東岡宿」として楽市・楽座と公事免許が補償され、寺内町、宿場町、市場町の機能を合わせ持つ町として発展した。
閉じる投稿日:2013/03/25
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基本情報(地図・住所・アクセス)
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