武田氏館跡
名所・史跡
3.37
武田氏館跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
甲府 観光 満足度ランキング 11位
武田信虎が永正16年(1519)に築き、天正9年(1581)まで信虎、信玄、勝頼がその本拠としたもので、東西284m、南北193mの内郭に土塁・堀をめぐらしている。内郭は東、中、西の曲輪に分かれ、これに北曲輪、南に梅翁曲輪がついたものであった。城というよりも代表的な居館であり、武田氏の盛時、信玄はここで8ケ国にまたがる政治・軍事の主導権を握った。いまは、土塁・堀・石垣などが残され、当時の本丸付近に武田神社がある。◎武田信虎(1494-1574)石和生れ。戦国の甲斐の守護大名。国内を平定し武田家飛躍の基礎を築く。天文10年長男の晴信に追われて駿河に隠棲。のち京都にのぼり伊那高遠城で死去。◎武田信玄(1521-73)甲府生れ。戦国時代の大名。近隣8カ国にまたがる甲斐合衆国を形成。天下に号令しようとして、大軍をひきいて上洛の途についたが、途中で病死した。
クチコミ・評判 3ページ目
41~43件(全43件中)
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跡地の一部が武田神社になっているところです
- 4.5
- 旅行時期:2013/10(約12年前)
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今は、武田神社となっています。
- 4.0
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
- 5
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武田神社として信仰を集める武田氏館
- 3.5
- 旅行時期:2012/04(約14年前)
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甲府駅北口から北に続く一本道を30分強ほど歩くと到着しますが、ずーっと緩い登り坂になっており、両脇は住宅街ですので、バスで... 続きを読む行くことをお勧めします。バスだと10分弱です。
武田氏館(躑躅ヶ崎館)は、現在は武田神社となっています。
信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住した場所とのことです。
戦国時代の、いわゆる「お城」ですので、神社は堀で囲まれており、石垣も一部残っています。
大手門は、神社の入口にあたる南側ではなく東側です。
東側は大手門東史跡公園として発掘整備されていました。
100名城スタンプは宝物殿で。宝物殿には、有名な孫子の旗(風林火山)もあります。 閉じる投稿日:2014/07/16
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基本情報(地図・住所・アクセス)
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