1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 関東地方
  4. 東京
  5. 両国
  6. 両国 観光
  7. 回向院
両国×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記
Q&A

回向院

寺・神社・教会

回向院 クチコミ・アクセス・周辺情報

両国 観光 満足度ランキング 3位

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    赤穂義士は休息のため入るのを拒絶されましたが、誰でも分け隔てなく埋葬してくれる無縁寺です。

    4.0

    「両国回向院」は、墨田区両国2丁目にあります。「両国回向院」へのアクセスは、JR総武本線「両国駅」の西口を出て、左方向に進...  続きを読むむと140m先に「国道14号」(京葉道路)があります。横断歩道を渡るとすぐ目の前に「両国回向院」の朱色の「山門」があります。その「山門」の両脇には、「回向院」を守るように二体の仁王像が安置されています。 「回向院」は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院で、「諸総山無縁寺回向院」と呼ばれています。そして、「回向院」の理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」で、江戸時代から変わることなく引き継がれています。なぜ、それは何故かと言うと、「回向院」が開かれた明暦3年(1657年)に、江戸では、「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。そのようなことから無縁寺とも呼ばれている訳です。江戸は火事が多い街で、人口の増加による家屋の密集、冬場に吹く「からっ風」がその要因に挙げられます。その中でも明暦の大火は「振袖火事」でその名が知られています。そして、当時の将軍「徳川家綱」は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸にある現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが「回向院」の歴史の始まりです。 では、「回向院」の「山門」を潜ります。「回向院」の「正門」は、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです。「正門」の「扁額」と「寺号碑」に注目してください。扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。 次が、「力塚の碑」が参道を進むと右手にあります。「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。 更に進むと「塩地蔵」があります。「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。 次に、「鳥居清長顕彰碑」です平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。「鳥居清長」は、江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。 更に進むと「鼠小僧次郎吉の墓」です。「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。その他の見どころである、「水子塚」、「千体地蔵尊」、「馬頭観世音菩薩像」、「オットセイ供養塔」、「猫塚」など多数ありますので、下記に取りまとめてありますから、ご覧いただければ幸いです。 01_【一口メモ】 ⑴ 所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国2丁目8-10 電話:03-3634-7776 ⑵ 回向院の概要 ①山号…諸宗山 ②院号…回向院 ③寺号…無縁寺 ④宗派…浄土宗 02_【アクセス】 1 電車を利用して ⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩4分290m ⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩10分700m 03_【「両国回向院」の見どころ】 ⑴ 「本尊阿弥陀如来」 「回向院」の御ご本尊は、宝永2年(1705年)に安置された銅の「阿弥陀如来座像」です。かつては、野外に置かれ、濡仏さまと呼ばれていました。「阿弥陀如来座像」は、「釜屋六右衛門」の作によるもので、現在は、東京都の有形文化財にも指定されています。「阿弥陀如来座像」は、身の丈六尺五寸五部、蓮座三尺四寸五分もある大きな銅作りの坐像で、数多くの無縁仏を見守ってきたその眼差しは慈愛に満ち溢れています。 ⑵ 「水子塚」 「回向院」の「水子塚」は、寛政5年(1793年)に老中「松平定信」の命によって造立されたもので、「水子供養の発祥」とされています。ちなみに、「水子塚」とは、陽の目をみずに葬られた水子の霊を供養するためものです。「水子塚」の板石には、地蔵菩薩坐像と他では見られないような「水子塚」という大きな文字が刻まれていました。 ⑶ 「塩地蔵」 劣化が激しく「塩地蔵」の建立年は不詳ですが、「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。「東都歳時記」所載の江戸東方48ヶ所地蔵尊参りには、その42番目として数えられています。現在、私の知る限りでは、「西新井大師」、「浄土宗常光山源覚寺(こんにゃく閻魔)」など都内10社寺で確認していますが、かつては48ヶ所にあったのですね。 ⑷ 「千体地蔵尊」 「千体地蔵尊」は、ご本尊の背面にあり、ご先祖の供養や家運や社運の隆昌・繁栄を祈願する人々によって奉安されたものです。関東大震災により焼失してしまった尊像で「増上寺」の「黒本尊」と同木といわれ、「恵心僧都」の作と伝えられた「備中千体阿弥陀如来像」をその由縁としております。後光のようにご本尊を守護するさまは必見です。 ⑸ 「力塚の碑と回向院相撲」 「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。ちなみに、日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集め(寺社建立の資金となる浄財を集めるなど)のための「勧進相撲」興行の形態をとっていました。貞享元年(1684年)、江戸での「勧進相撲」が許可されると相撲はさらに盛んになりました。その後、「勧進相撲」が「回向院」境内で初めて行われたのは明和5年(1768年)で、天保4年(1833年)以降は春秋2回の興行の定場所として江戸での「勧進相撲」を独占しました。そして、明治42年(1909年)の旧両国国技館が完成するまでの76年の間、「回向院相撲の時代」が続きました。「回向院」が定場所となり、回向院で行うことが定例となり、この「回向院」の定場所が今に続く、両国国技館の前身ということですね。そして、「力塚」の敷地内には、「角力記」、「東京相撲記者碑」という相撲の発展に寄与した相撲記者の慰霊碑も建てられています。 ⑹ 「馬頭観世音菩薩像」 「馬頭観音堂」は第4代将軍「徳川家綱」の愛馬の供養として創祀されました。また、「回向院」は動物供養でも知られ、犬、猫、オットセイ、小鳥などの塚や碑もあります。供養のために建てられた「馬頭観音堂」は、回向院二世信誉貞存上人が建立し、自らが鑿をとって彫刻した「馬頭観世音菩薩像」を安置しました。「馬頭観世音菩薩像」は、享保年間頃から「江戸三十三観音」でした。「回向院」の「馬頭観世音菩薩」に祈願をこめると、当時最も恐れられた瘧疾(熱病)や疱瘡(天然痘)にかからぬといわれ、時代が下るにつれて諸病平癒の霊験顕かな観音様として、人々の厚い信仰を集めたそうです。現在も昭和新撰「江戸三十三所観音参り」での第四番札所となっています。 ⑺ 「一言観音像」 「一言観音」は、奈良の「唐招提寺」の像と同じ木で彫られたもので「恵心僧都源信」作と伝えられています。 元禄16年(1703年)10月に回向院四世「観誉上人」の夢枕にこの観音様が現れ、他所へ遷すように告げられたため、「観誉上人」はこの聖観音像を墓所へ遷したところ、ちょうどその年11月に大地震及び火災により、寺院は倒壊・類焼してしまいました。この移転により聖観音像が倒壊を免れたことが知れ渡り信仰を集めるようになるとともに、その御前で一言願をかけると願い事が叶うと慕われ、いつしか一言観音と呼ばれるようになりました。 ⑻ 「鼠小僧次郎吉の墓」 「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。計90回の盗みの後、ようやく御用になり処刑されてしまいましたが、長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。 ⑼ 「関東大震災供養塔」 東京が一朝にして焼土と化した大正12年(1923年)の関東大震災において、当時の住職であった第21世「浄厳師」は、役僧を引き連れ焼野原を歩き、亡骸を見つけては巡回回向し、また被服廠跡や隅田堤で日夜読経念仏したと伝えられます。大正14年(1925年)に東京市は遺族に対して遺骨の引き取り方を公告しました。各区にわたる死者は分骨して「回向院」にも納骨されました。 ⑽ 「正門」 「回向院」は一般的な表記ですが、「正門」の扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。令和元年(2019年)に、「正門」に「仁王像」が安置されました。「回向院」の「正門」は、かつては、現在の「両国2-8-10」あたりの位置にありました。残念ながら「回向院」の伽藍は東京大空襲で焼失しましたが、戦後、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです ⑾ 「鳥居清長顕彰碑」 「鳥居清長」は、鳥居派四代目として八頭身の美人画を確立したことで知られる浮世絵師です。江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。「鳥居清長」の墓碑は以前から「回向院」にあったとされていましたが、「関東大震災」や「東京大空襲」により所在不明となっていましたが、近年の調査で過去帳に名が記されていることが発見され、平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。 ⑿ 「オットセイ供養塔」 「オットセイ供養塔」は、大正15年(1938年)に建てられたオットセイのための供養塔です。漢字で書くと非常に難しく、「膃肭臍」と書いてオットセイと読みます。大正時代に「回向院」のなかにあった見世物小屋にいたオットセイを供養するために建てられたものです。これだけでも「回向院」の栄華が分かりますね。 ⒀ 「猫塚」 「歌川国芳」は、大の猫好きで知られる江戸後期の浮世絵師です。常に数匹、多い時には十数匹の猫を飼い、猫の戒名の書かれた位牌で飾られた猫用の仏壇を自宅に設けていたそうです。「歌川国芳」が生きていた時代にはすでに「回向院」の猫塚は存在し、「歌川国芳」は何匹もの愛猫の供養をお願いしていたそうです。「猫塚」が回向院に築かれることになったきっかけは、次の様な逸話からです。猫を大変かわいがっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。ある日、猫は姿を消し戻ってきません。ある商家で、二両くわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。このようなことにより「回向院」の猫塚が築かれたそうです。   閉じる

クチコミ・評判 4ページ目

61~80件(全462件中)

  • 相撲の聖地

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/09(約6年前)
    • 0

    相撲の聖地として知られている場所で、現在の両国技館が建てられる1909年までは、ここで春秋2回の定場所相撲大会が行われてい...  続きを読むたそうです。
    また、江戸時代の大泥棒「ねずみ小僧の墓」があることでも有名です。
    「金運アップ」や「合格祈願」のご利益にあやかりたい参拝者が多いそうです。  閉じる

    投稿日:2020/09/08

  • 存在感あり。

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/08(約6年前)
    • 0

    両国にありかなり存在感のあるお寺です。
    赤い門に仁王像が2体ありますので当然といえば当然。
    明暦の大火で亡くなった人々...  続きを読むを供養するお寺らしいです。
    結構気合が入ったお寺で、両国にを散歩しているなどの時に
    立ち寄ればいいと思います。  閉じる

    投稿日:2020/08/18

  • 案内板が

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/07(約6年前)
    • 0

    両国の散策で案内板を発見しました。両国には現在も回向院があって、角力関係・鼠小僧関係の見所多いお寺なのですが、その正門跡は...  続きを読む山門などからはけっこう離れた地味な場所にありましたので、たまたま発見したという感じ。今は案内板以外は普通の通りという感じの場所ですが、かつての回向院の広さを実感できる場所です。  閉じる

    投稿日:2020/08/01

  • お墓など

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/07(約6年前)
    • 0

    両国にあるお寺です。駅から大通りを直進するとたどり着きます。明暦の大火とかかわるお寺でもあり、大きな赤い門には仁王像が立っ...  続きを読むていて迫力があります。両国という場所柄、角力の聖地でもあり、力塚などもあります。あと、境内には鼠小僧のお墓もありますので、見所たくさんです。  閉じる

    投稿日:2020/07/22

  • 供養塔が沢山

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/02(約7年前)
    • 0

    JR両国駅から国技館通りを100m程南下した正面に回向院はあります。1657年に創建された浄土宗のお寺ですが、境内には古い...  続きを読むお堂は残っていません。しかし、境内には沢山の供養塔が残されています。元々明暦の大火で亡くなられた無縁仏を祀るためだったそうです。
    回向院の中での一番人気は鼠小僧次郎吉の供養墓。多くの人墓石(前立)をお守りにするために削りに来る姿が見られます。その次は力塚でしょう。
    赤穂浪士討ち入りの後の集合場所とされた由緒ある寺院です。  閉じる

    投稿日:2020/03/20

  • 回向院と言えば

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/02(約7年前)
    • 0

    両国の回向院の境内の中に鼠小僧次郎吉の供養墓があります。回向院と言えば鼠小僧のお墓を思い浮かべる人も多いと思います。
    ...  続きを読む小僧供養墓の前にあるお前立を削り取ってお守りにする人が沢山訪れていました。ずっと削っている人もおり、見学に来た人にとってはずっと削ってばかりいる人はもっぱら邪魔になるだけ。節度をもって削って欲しい物です。
    でも、それほどご利益があるのでしょうかね。  閉じる

    投稿日:2020/03/19

  • 昔話として面白い

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/02(約7年前)
    • 0

    両国の回向院の中にある鼠小僧次郎吉の供養塔の左側にガラスの祠にに入れられた墓石があります。これが猫塚です。祠に覆われている...  続きを読むのは間違えて削られるのを防止するためでしょか。猫塚は1816年の建てられたもので、説明板には猫の恩返しの話が書かれていますが、本当の話かどうかは分かりません。ただ昔話としては面白うです。
      閉じる

    投稿日:2020/03/19

  • 区別がつかない

    • 2.5
    • 旅行時期:2020/02(約7年前)
    • 0

    両国の回向院の境内、鼠小僧次郎吉の供養墓の近くに石造海難供養碑があります。全部で6基の海難供養碑があり、その内3基は伊勢白...  続きを読む子関係の碑です。伊勢の商人が江戸まで来てたんですね。近くには石造明暦大火横死者等供養塔もあり良く見ないと区別がつきません。  閉じる

    投稿日:2020/03/18

  • 分かり辛い

    • 2.5
    • 旅行時期:2020/02(約7年前)
    • 0

    両国の回向院の境内、鼠小僧次郎吉の供養墓の近くに石造明暦大火横死者等供養塔があります。1657年に発生した明暦の大火によっ...  続きを読むて犠牲となった焼死者、溺死者、入水者、牢死者、行路病死者、処刑者その他の横死者の供養の為に建てられた供養塔です。説明板と供養塔が離れており、石造海難供養碑も近くにありどれが石造明暦大火横死者等供養塔なのか分かり辛いです。しかし、両国にはこの様な戦災、天災の供養に関わるものが多いのは何故なんでしょう。  閉じる

    投稿日:2020/03/18

  • 横綱の名前が彫られています

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/02(約7年前)
    • 0

    両国 回向院の山門を潜った駐車場の先の一段高くなった所に力塚があります。江戸時代に回向院では勧進相撲興行が行われていました...  続きを読む。それに因んで力塚が建立されました。一番大きな力塚の他にも4基の石碑が建てられており、何れも碑も相撲に関係するものです。力塚の基台の周りには赤い字で横綱の名前が刻まれており、それを見るのも面白いです。  閉じる

    投稿日:2020/03/17

  • 勉強になりました

    • 2.0
    • 旅行時期:2020/02(約7年前)
    • 0

    両国の回向院にある力塚の傍に加藤千蔭墓の説明板があります。加藤千蔭は江戸時代中期の国学者・歌人で、「万葉集略解」等の著書を...  続きを読む書いた人だそうです。全く知らない人で勉強になりました。説明板の傍には墓はなく、何処に墓があるのか、探してみましたが、どこにあるのか分かりませんでした。  閉じる

    投稿日:2020/03/17

  • 予め調べて行けば良かった

    • 2.0
    • 旅行時期:2020/02(約7年前)
    • 0

    両国の回向院にある力塚の傍に岩瀬京伝墓の説明板があります。岩瀬京伝というよりも山東京伝と言った方が知っている人も多い戯曲家...  続きを読むです。説明板の傍には墓はなく、何処に墓があるのか、探してみましたが、どこにあるのか分かりませんでした。お墓のある傍に説明板は建てて欲しい物です。
    後で調べてみると鼠小僧次郎吉の墓のそばだったみたいです。予め調べて行けば良かった。  閉じる

    投稿日:2020/03/16

  • 説明板はありますが

    • 2.0
    • 旅行時期:2020/02(約7年前)
    • 0

    両国の回向院にある力塚の傍に岩瀬京山墓の説明板があります。岩瀬京山は江戸時代の戯曲家 山東京伝の弟で同じく、戯曲家。説明板...  続きを読むの傍には墓はなく、何処に墓があるのか、探してみましたが、どこにあるのか分かりませんでした。お墓のある傍に説明板は建てて欲しい物です。  閉じる

    投稿日:2020/03/16

  • 見ごたえのある大きな石碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/01(約7年前)
    • 0

    墨田区両国2丁目の浄土宗寺院・回向院の参道脇に大きな石碑があります。江戸時代の明和5年(1768年)回向院境内で始まった相...  続きを読む撲の興行が、現在の大相撲の起源となりました。見ごたえのある大きな石碑なので、回向院参拝の際には忘れずにお立ち寄りを!  閉じる

    投稿日:2020/07/07

  • 見所の多い寺院

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/01(約7年前)
    • 0

    墨田区両国2丁目にある浄土宗寺院です。明暦の大火後の明暦3年(1657年)の創建です。天明元年(1781年)に始まった勧進...  続きを読む相撲の興行が大相撲の起源となりました。著名人のお墓や記念碑などが多々あり見所の多い寺院です。  閉じる

    投稿日:2020/05/16

  • 回向院正門が有った場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/01(約7年前)
    • 0

    墨田区両国2丁目の路上に回向院正門跡の説明板が立っています。現在は国技館通り側に回向院山門が有りますが、江戸時代には旧両国...  続きを読む橋は現在の両国橋よりも南側に架かっていて、この場所に回向院正門が有ったそうです。  閉じる

    投稿日:2020/05/09

  • 回向院の墓地にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/01(約7年前)
    • 0

    墨田区両国2丁目の浄土宗寺院・回向院の墓地に江戸時代の義賊、鼠小僧次郎吉のお墓があります。時代劇などで、鼠小僧次郎吉の存在...  続きを読むは知っていましたが、実在していた人物だったのですね。鼠小僧次郎吉のお墓のかけらを持っていると、賭け事に勝ったり、運が付くといわれているそうです。   閉じる

    投稿日:2020/05/09

  • 江戸時代の大火災の供養塔

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/01(約7年前)
    • 0

    JR両国駅西口から歩いて5分ほどの回向院の中にある、江戸時代の初めの17世紀半ば頃に江戸の街を襲った大火でなくなった人々を...  続きを読む弔う供養塔です。高さは3メートルほど、どっしりとした石造りで存在感があります。案内板の位置とはちょっと違っていて、海上溺死群生追福之塔の手前に建っています。  閉じる

    投稿日:2020/03/04

  • 相撲との縁を感じさせる石碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/01(約7年前)
    • 0

    JR両国駅西口から歩いて5分ほどの、回向院の中にある大きな石碑です。回向院の隣にはかつて国技館があったことなど現在も相撲と...  続きを読む深いつながりのある場所柄だけに、相撲関係者を慰霊するこの石碑が建っています。高さ4メートルほどの碑の中央には、いかにも力強さを感じさせる「力塚」の大きな文字が彫られています。  閉じる

    投稿日:2020/03/04

  • 回向院の中にある鼠小僧供養墓

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/01(約7年前)
    • 0

    両国駅から歩いて5分ほどの回向院の中にある鼠小僧供養墓です。墓石の前には「お前立ち」の代わりの白い石が置かれていてそれを削...  続きを読むることができます。大名屋敷から千両箱を盗んでそれを町人たちに分け与えたと伝わるだけに、現在でも特別な信仰があることを感じさせます。  閉じる

    投稿日:2020/03/03

61件目~80件目を表示(全462件中)

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  7. 24
クチコミを投稿する

投稿写真

写真をもっと見る(736枚)

基本情報(地図・住所)

施設名
回向院
住所
  • 東京都墨田区両国2-8-10
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

このスポットに関するQ&A(0件)

回向院について質問してみよう!

両国に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。

  • イケタクさん

    イケタクさん

  • きゅういとせろりさん

    きゅういとせろりさん

  • Lily-junjunさん

    Lily-junjunさん

  • クワドラさん

    クワドラさん

  • 緑のポストさん

    緑のポストさん

  • たあちゃんさん

    たあちゃんさん

  • …他

このスポットで旅の計画を作ってみませんか?

行きたいスポットを追加して、しおりのように自分だけの「旅の計画」が作れます。
クリップ したスポットから、まとめて登録も!

周辺スポット

周辺のおすすめホテル

両国 ホテルランキングを見る

東京 ホテルランキングを見る

PAGE TOP