2016/05/14 - 2016/05/15
188位(同エリア441件中)
ポポポさん
平成3年6月3日成長を続けた雲仙普賢岳の溶岩ドームの一部が崩落し大火砕流が発生、火山学者や報道関係者やタクシー運転手、消防団員や警察官や許可を得て避難区域内に入った地域住民などを含む43名もの命が失われました。
この日の夕方のニュースでその映像を見ましたが、今でもその光景は忘れられないほどにすさまじいものでした。
息子はその後に生まれたので、その事実を知りません。久々の家族旅行は雲仙・島原の観光も兼ねて現在の普賢岳がどうなっているのか、また災害の跡はどういう状況なのか尋ねてみることにしました。
また一度は宿泊してみたいと思っていた雲仙みかどホテル本館が予約できたのも、今回の家族旅行の楽しみの一つでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 1.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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九州自動車道を南下して鳥栖から長崎自動車道に入り、諫早インターで一般道に乗り換え国道75号線を走って雲仙地獄・旅館街経由で雲仙仁田峠に上がりました。
国道75号線から仁田峠へ上る道は有料道路でしたが現在は無料になっています。
元々家族旅行のため最初から旅行記にするつもりがなかったため、途中の道路や休憩所などは全く写真を撮っていませんでした。
そのため今回の旅行記は途中を全て割愛させていただきます。
前置きはこの程度にして、ここは仁田峠第二展望所です。雲仙普賢岳の火山活動で新たに発生した平成新山を横から眺めることができます。 -
平成新山の威容です。山頂付近の崩落した跡は平成の火山活動によるものだと思います。
平成新山 自然・景勝地
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火砕流、土石流によって崩落した個所です。
平成3年6月、成長を続けていた溶岩ドームが崩落し大火砕流が発生。麓の家屋を焼き尽くし、人的被害が発生しました。
さらに降り積もった火山灰の斜面を梅雨時の大水が流れ落ち大規模な土石流が発生。水無川流域を流れ落ち、島原湾に近い深江町の家屋を押し流してしまいました。
この斜面はそれらが流れ落ちた場所、溶岩が流れた様子がよく分かります。
後ろの山は眉山でしょうか。 -
仁田峠に到着しました。
平成新山と雲仙仁田峠ロープウェイ乗り場です。仁田峠はミヤマキリシマが咲く場所として有名で、すでにミヤマキリシマが咲き始めた所もありました。雲仙ロープウェイ 乗り物
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仁田峠の標識。その後ろの山は妙見岳。ロープウエイでこの山の頂上まで一挙に上がることができます。
妙見岳展望所の眺望は抜群で、天気がよければ大分県の九重連山から有明海、熊本・天草まで見渡せます。
現在は雲仙天草国立公園になっていますが、当初は雲仙国立公園として日本で最初に国立公園に指定された場所です。
雲仙は連山で構成される山で主峰は雲仙普賢岳でしたが、平成の火山活動で新たに平成新山ができ、現在は平成新山が雲仙の最高峰になりました(1483m)。雲仙 仁田峠 自然・景勝地
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仁田峠遊歩道。この遊歩道の左右に沢山のミヤマキリシマがあります。すでに開花し始めた木もありますが見頃は5月下旬です。
雲仙 仁田峠 自然・景勝地
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こちらはミヤマキリシマが満開の時の仁田峠の様子です。(2015年5月26日撮影)
開花時期になるとこの辺り一帯にミヤマキリシマが咲き誇ります。雲仙 仁田峠 自然・景勝地
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遊歩道沿いは開花したミヤマキリシマで埋め尽くされます。
雲仙のミヤマキリシマは生育がいいようで、丈の大きなものが多かったです。
個人的には密集して咲く九重連山のミヤマキリシマが一番美しいのではないかと思います。雲仙 仁田峠 自然・景勝地
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ロープウェイ乗り場付近のミヤマキリシマ(2015年5月26日撮影)
雲仙 仁田峠 自然・景勝地
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仁田峠展望台から眺めた雲仙ゴルフ場。パブリックコースとしては最も古いゴルフ場で大正2年にオープンしました。
雲仙ゴルフ場 ゴルフ場
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ゴルフ場のアップ。
雲仙ゴルフ場 ゴルフ場
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ゴルフ場の奥にある湖は雲仙温泉郷にある「おしどりの池」です。
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展望所から眺めた周囲の山の風景。新緑が殊のほか美しかったです。
仁田峠展望台から下にある駐車場に下りて野岳側の展望所を覗いてみることにしました。 -
野岳側から見た景色です。こちら側はすでにミヤマキリシマが咲き始めていましたよ。
足下でピンクに染まっているのがミヤマキリシマです。雲仙ゴルフ場 ゴルフ場
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こちら側にはすでに満開に咲いているミヤマキリシマがありました。
大分県の九重連山に咲くミヤマキリシマは、高地に咲くため可憐な株が多いのですが雲仙のミヤマキリシマは豪快です。 -
ミヤマキリシマと右が平成新山、左が妙見岳。
今日は普賢岳登山にチャレンジするので一旦仁田峠展望台に戻ります。 -
登山道は仁田峠ロープウェイ乗り場の右側にあります。ロープウェイ乗り場の側に普賢神社の拝殿があり、横の鳥居を潜った先に登山道が続いていました。
この登山道を歩いて普賢岳の下まで行き、上りの急坂を一気に登るのが今回のコースです。妙見岳展望所 名所・史跡
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登山道の途中から眺めた平成新山。今は活動を停止しているため穏やかな山です。噴煙は見えません。もう噴煙は上がってないのかな?
登山道を進んで行くと普賢岳と国見岳方面の分岐(紅葉茶屋)にさしかかります。
ここから途中鎖場もある急な登りが続きます。登山道は岩場を直登する感じでかなり険しい道でした。途中何度も休憩しながら着いたと思ったら、まだ山頂は上のほう。
何か廃墟のようなものがありました。石の柱は途中から折れてあちこちに散らばっていました。
実はこれは山頂の下に建てられていた普賢神社の石の鳥居なんです。社殿は燃えて跡形もありません。ただ鳥居の残骸と、鳥居の根本部分のみが廃墟のように残っていました。
普賢岳の火砕流や溶岩に焼かれ、火山岩に打ち砕かれたのでしょう。
その被害の跡を見ると言葉もありませんでした。普賢岳 自然・景勝地
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普賢岳山頂に向かう登山道から見た景色。平成新山が目の前です。ゴツゴツし、焼けただれた無機質な火山岩が目の前に迫ってきました。
写真左下に見えるのは秩父宮様登山記念碑。平成新山 自然・景勝地
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普賢岳(1359m)山頂に到着。雲仙岳の主峰は普賢岳ですが、平成新山(1468m)ができて2番目の高さになりました。普賢岳山頂の目の前に平成新山があります。
現在火山活動は終息していますが、平成新山はいまだ立入禁止になっていました。普賢岳 自然・景勝地
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普賢岳山頂(写真手前)と平成新山の山頂。
平成新山は溶岩ドームで、崩落した後一部残った部分が現在の山頂です。平成新山 自然・景勝地
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平成新山の全景。
平成新山 自然・景勝地
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平成新山と普賢岳の様子。
写真左下は普賢岳にある秩父の宮様登山記念碑です。記念碑本体は幸いにも火砕流の被害を免れたようですが、記念碑を囲む周囲のコンクリートの柱は被害を受けていました。 -
普賢岳山頂からの眺望です。この日は黄砂かそれともPM2.5が多かったのか霞んでしまって遠くの眺望はイマイチでした。
但し、肉眼ではもう少し遠くの景色まで見ることができたんですけど。 -
普賢岳山頂。
普賢岳 自然・景勝地
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普賢岳山頂と平成新山。平成新山は草木も生えない荒涼とした瓦礫の山でした。
普賢岳 自然・景勝地
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普賢岳山頂からの眺望。
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山頂からの眺望。
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正面は野岳。
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平成新山の様子。わずかながらまだ噴煙は上がっています。
平成新山 自然・景勝地
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普賢岳から下山途中に見つけたマムシ草。
マムシがかま首をもたげる様子にそっくりなため、登山仲間ではマムシ草と呼んでいる植物です。そのため正式な名称は知りません。
山頂でよく見かける植物です。 -
国見岳の斜面です。山ツツジが咲いていました。花の色から想像するにミヤマキリシマではなさそうです。
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山ツツジと普賢岳、平成新山。
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国見岳に登る国見別れを妙見岳の方に進んで妙見岳展望所に到着しました。
ここからの展望は仁田峠以上に素晴らしいです。
こちらはゴルフ場方向(西方向です。)妙見岳展望所 名所・史跡
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この方向に長崎市の市街があるんです。五月晴れなのにPM2.5の影響か、空が霞んでしまい遠景が見えません。
秋か冬であれば絶景を堪能できたと思います。妙見岳展望所 名所・史跡
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こちらは火砕流と土石流により大きな被害が発生した水無川流域の南島原市深江地区と有明海。その奥が熊本県の上天草市です。
ここからだと火砕流や土石流が流れて火山岩や火山灰が堆積した様子がよく分かります。妙見岳展望所 名所・史跡
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平成新山と火山災害の爪痕の様子。
平成新山 自然・景勝地
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国見岳です。この山もかなり急峻な岩場がある山で途中に鎖場があります。
結構キツイ山なのでこちらは登るのをパスしました。
妙見岳展望所からの下りはロープウエイを利用せず、歩いて降りました。下り坂ながら登山道がしっかり整備されていたので問題はありませんでした。
仁田峠からは一方通行の道を通ってゴルフ場の横に出てきました。 -
雲仙ゴルフ場です。このゴルフ場の横を走っている国道57号線を下って南島原市に向かいました。
ゴルフ場の芝生が綺麗でした。雲仙ゴルフ場 ゴルフ場
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雲仙岳の麓、南島原市深江町にある旧大野木場小学校被災校舎にやってきました。
平成3年9月15日普賢岳の溶岩ドームが崩落して大規模火砕流が発生。火砕流の直撃は免れたものの火砕流の熱風(火災サージ)で校舎は全焼しました。地域住民は全て避難していたため人的被害はありませんでしたが、火砕流の熱風(火災サージ)によって付近の民家は全て焼き払われました。その数実に153棟に及んだそうです。
校舎は火砕流遺構の1つとして保存され、校舎の隣には火山災害や砂防事業の必要性を学ぶ場として大野木場砂防みらい館が設けられています。旧大野木場小学校 名所・史跡
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大野木場砂防みらい館と旧大野木場小学校。
校舎の中には立ち入ることができませんが、教室内部の様子は外から覗くことができます。
鉄筋コンクリート3階建てのサッシの窓枠や2階建ての鉄の窓枠は熱で曲がり、教室の床は焼け落ちて教室内は瓦礫の山。鉄製の備品は熱で曲がり、それが何だったか分からないような状態でした。
写真には写していませんが校庭には奇跡のイチョウと呼ばれている銀杏の木がありました。
これは火砕流の熱風で焼かれたにも関わらず、今では見事に葉を茂らせて復活した銀杏の木があるんです。今では災害から見事に復興した深江地区のシンボルとなっていました。旧大野木場小学校 名所・史跡
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校庭には火砕流被災校舎の記念碑が建てられていました。
旧大野木場小学校 名所・史跡
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大野木場砂防みらい館から見た平成新山と被災した水無川。現在水無川には多数の砂防ダムが建設されています。
砂防ダムはこの砂防みらい館から無人の土木工作機械を遠隔操作して造りあげたものです。平成新山はいつ再び噴火するかもしれないためという危機感の下、人命尊重の観点から無人化が推し進められたのでした。
砂防みらい館ではその作業の様子が映像やパネルで紹介されています。普賢岳の火砕流災害復旧工事は、人命の確保がその基本に据えられており、平成3年6月3日の大火砕流による43名の死者以降は人的災害は1名のみに留まりました。 -
平成3年6月3日、大火砕流によって43名の命が失われた定点(普賢岳火山活動観察地点、溶岩ドームを正面に捉えることができる好立地点)。
館員の人に砂防ダムの奥の道路脇の白い杭の所が定点だと、指差しで教えられた場所を写真に撮ったものです。
写真中央より右寄りの砂防ダム沿いの道に白く見える場所、白い杭には見えませんがそこだそうです。
6月3日の大火砕流による人的災害は起こるはずのない災害でした。
何故なら火砕流の到達範囲は危険区域内に収まっていたからです。危険区域外へ避難さえしていれば被害が起きることはなかったのです。
定点は危険区域内であるため災害対策本部から再三退避するように勧告がなされていました。なのにマスコミ関係者は執拗にこの定点に留まることにこだわりました。
それは報道関係者間で抜け駆けのスクープ合戦が繰り広げられていたからです。各社とも危険は承知で定点にへばりつき、抜け駆けされないように報道を続けていました。
また数社の報道機関はタクシーをチャーターし、何時火砕流が発生してもすぐに逃げられるように水無川の下流方向にタクシーを向け、エンジンをかけっぱなしで4名のタクシー運転手を待機させていたそうです。
それと外国の火山学者が3人。彼らも溶岩ドームの成長から崩壊という火山活動の得難い瞬間を逃すまいと定点で観測を続けていました。
さらに危険区域内で作業するために出入りしていた農業従事者が4名いました。
火山学者以外は火砕流よりも土石流の方が危険だとの認識だったそうです。
そして運命の平成3年6月3日16時8分大規模な火砕流が発生、定点を襲った火砕流と周辺を襲った熱風(火災サージ)が43名の命を奪いました。
死亡した中には先程の報道関係者らの外に、避難勧告のため危険区域に入り殉職した警察官2名と12名の地元消防団員らがいました。消防団員は地元の農業従事者や勤務者で構成され、死亡した消防団員の大部分は農業従事者だったそうです。
土石流の警戒や避難誘導は消防署のプロの消防士ではなく、ある意味素人の消防団員が行っていたのです。
地元の消防団員は一旦は危険区域外に退避していましたが、数社の報道関係者が留守の民家に無断で侵入して電気・電話を無断で使用した事例が発覚し、これらを監視することもあり災害対策本部の命令で再度危険区域内で警戒任務に就きました。結局消防団員は報道関係者が引き起こしたトラブルに引きずり込まれる形で危険区域内に再び留まり犠牲となったのです。
火砕流による人的被害報告書には消防団員らが災害対策本部の命令で再び危険区域内に入ったとは一言も書かれていません。そのまま報告書を読めば監視などのために消防団員らが自発的に危険区域に入ったかのように読み取れます。
消防団員の証言では「プロの消防士ではないほぼボランティアの素人の我々が災害対策本部からの命令で再び避難誘導の任務に就くよう危険区域に派遣された。その結果、多くの仲間を失い、農業の担い手を失った。団員たちはそこに居たくて居たんじゃないんだ。」と証言しています。つまり、プロの消防士には危険な命令を下さず素人の消防団員に災害本部から命令が発せられたということです。
災害報告書に対策本部の命令で消防団員が再び危険区域内に入ったことが記述されていないのは、災害本部から書かないように圧力がかかったのではないかと勘繰るのは気の回しすぎでしょうか?
もし、報道関係者が素直に避難勧告に応じていれば災害は防げたかもしれません。
この火砕流の災害がマスコミに取り上げられる度に、最後まで命を賭して火山再開を観察し続けたカメラマンなど報道関係者はプロ魂などと美談で取り上げられ、そのせいで命を落とした12名の消防隊員のことなど全く語られることは無いため、腹が立って仕方ないと語った元消防団員の話は今も記憶に残っています。 -
島原まゆやまロード沿いの水無川と砂防ダム、旧大野木場小学校・大野木場砂防みらい館。
この写真の地域が火砕流や火災サージ、土石流で被害を受けた場所です。 -
水無川流域と砂防ダムの様子。
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水無川に造られた砂防ダム群と手前は度重なる火砕流で流された溶岩や火山灰の堆積土。
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水無川上流やおしが谷を何度も流れてきた火砕流本流の通過跡。
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水無川上流の火砕流、土石流の跡。火山砕屑物が堆積しており、流れた様子が現在でもよく分かります。
写真右下の道路は「島原まゆやまロード」と呼ばれている県道207号線です。この道路は南島原市深江地区の国道57号線から島原市を走る県道58号線までを結ぶ道路です。
島原湾を望む眺望が素晴らしく平成新山を間近に見ることができますが雲仙普賢岳の火砕流や火災サージ、土石流が被害を及ぼした地区を走っています。
そのため水無川流域から火災サージで地域の民家が全焼した南北千本木地区までは荒涼とした火山台地が続くのみで、平成新山ネイチャーセンターと呼ばれる施設以外民家は1件もありませんでした。全て火山災害で焼失したのです。
千本木地区は砂防ダムがあるのみで、火山災害以前にこの地区に居住していた住民は危険区域外に移住し、田畑が砂防ダム工事で消失した農家は廃業に追い込まれたそうです。島原まゆやまロード 自然・景勝地
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島原まゆやまロード沿いにある眉山です。
この山は「島原大変肥後迷惑」と呼ばれた舞台となった山です。
1792年(寛政4年)、普賢岳で噴火が始まりその後火山性地震が発生。地震の震源地は島原に移り強い地震のため眉山の山体が崩壊し大量の土砂が島原の城下町を通って有明海に流れ込みました。これを島原大変と呼びこの時の死者が5千人。
流れ込んだ土砂の衝撃で10メートル以上の高さの津波が発生し、対岸の肥後天草に襲い掛かりました。これを「肥後迷惑」と呼んでいます。
肥後の海岸で反射した反動波が再び島原を襲い、津波による死者は約1万人、このうち肥後の被害が5千人だったそうです。
島原・肥後で合計1万5千人の死者を出したこの大災害は「島原大変肥後迷惑」として今に語られています。死者の数は有史以来最大だったそうです。
眉山で崩壊したのは南側、写真は眉山の裏側なので平成新山側からは崩壊した様子を見ることはできませんでした。 -
まゆやまロードから平成新山ネイチャーセンターに向かう道路脇から見た平成新山です。
この角度からは崩落した平成新山の溶岩ドームがはっきり分かります。
ここは垂木台地、写真左の山は稲生山、平成3年9月15日に発生した大火砕流では正面の溶岩ドームが崩落、大火砕流の本流は正面の平成新山から流れ落ち稲生山の山裾からおしが谷へ流れて垂木台地を焼き尽くし、水無川にそそぎこみました。
そのため周囲は平成ネイチャーセンター以外には何も無い、ただ火山岩や礫、火山灰が残る荒涼とした台地でした。平成新山 自然・景勝地
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垂木台地に唯一建っている建物で平成新山ネイチャーセンターです。
垂木台地は平成3年9月の大火砕流で焼き尽くされましたが、平成5年の火砕流では直撃を受け、火山灰や火山岩などで埋め尽くされました。
この建物は火山災害によって荒廃した垂木大地の自然回復を観察する施設として開設されました。
館内では雲仙岳の動植物の紹介や平成新山の監視システム、雲仙火山の歴史や平成新山の誕生が映像などで紹介されていました。平成新山ネイチャーセンター 美術館・博物館
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駐車場からは平成新山を間近に見ることができます。
ここのネイチャーセンターから平成新山の山頂までは2.5kmという近い距離にあるそうです。平成新山 自然・景勝地
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平成新山ネイチャーセンターの建物の側にある避難シェルターの入り口です。
敷地内には5か所の避難シェルターがあり、合計300人収容できるそうです。平成新山ネイチャーセンター 美術館・博物館
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避難シェルター(写真右)と平成新山観測台(写真左の石垣)です。
この周囲の植物や木々は火砕流や火災サージで焼きつくされました。それが現在ではこんなに緑豊かな場所へと甦っています。
観測台の奥の木々の中には火砕流などで黒く焼かれた木がありますが、それらの木では新しく芽が出てそれが枝となり、葉が生い茂って見事に蘇生した姿を見せてくれています。
それらの木からは植物の生命力の力強さを感じることができました。平成新山展望園地 名所・史跡
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平成新山ネイチャーセンターを後にして今晩の宿泊先である雲仙みかどホテル本館に到着しました。
豪華なバイキングを宣伝しているホテルです。ホームページにはこのホテルの目玉であるバイキングのカニや和牛の肉などが掲載されていました。
日本一のバイキングを目指しているとのキャッチフレーズで、以前TVのCMでも見たことがあり、かねてより一度利用したいと思っていたホテルです。
運よく予約ができ、今晩の夕食のバイキングが楽しみです。
ただこのバイキングは口コミでは良い悪いの評価が両極端だったので、悪くなければいいがと一抹の不安はありました。
ここはホテルの入り口の門。銘木のように立派な切り株は柱として使用されていました。雲仙みかどホテル 宿・ホテル
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ホテルの正面入り口。
駐車場は道路を隔てた向かい側の段差のある場所に3か所設けてありました。そのため最も低い所にある駐車場に車を駐車させた場合はホテルから遠くなり、かなり高低差のある坂道を上って来なければならず高齢の方にはちょっと辛いと思いました。雲仙みかどホテル 宿・ホテル
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門を潜った先には倉庫のような建物が来客者を待ち受けます。
倉庫のような場所には樹齢が何百年なのか分からないような大きな銘木(主に木の切り株)が展示されていました。雲仙みかどホテル 宿・ホテル
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ホテルの玄関先には木の切り株を銘木として加工したもののほかに、このような置物のような銘木も展示されていました。これは銘木を加工した七福神。
これらの銘木は全てこのホテルのオーナーのコレクションで、樹齢数百から千年と言われる木が切り出されると言う情報が入ると、金に糸目をつけず手に人れた物なんだそうです。 -
こちらは孔雀が羽根を広げたような銘木。珍しいものでした。
ここに展示されている銘木はほんの一部で、本館の中には神社の御神木で樹齢が5~600年の切り株が銘木として展示してありました。 -
ここがホテルの玄関入り口です。銘木の展示は立派でしたが入り口はまるでどこかの事務所の入り口のようでした。
名称はホテルですが、設備や造りは旅館です。
入り口の正面にフロントがありますが、とてもホテルのフロントといえるような代物ではありません。ロビーは狭い空間で客待ちの椅子が並べてある程度でした。
本館に入るまでは立派な銘木の展示にテンションは上がり気味でしたが、中に入った途端テンションはがた減りでした。雲仙みかどホテル 宿・ホテル
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本館の通路にも銘木が展示されていました。中には樹齢が推定1千年という木もありました。
さて、予約したのは3人宿泊ができる洋室でしたが、部屋は本館ではなく別館でした。その別館がとにかく遠い。
温泉の大浴場は本館にあるので、冬場ならきっと湯冷めしてしまうでしょう。
本館を出て渡り廊下をひたすら歩いてやっと別棟に到着しましたが、なんとまるでプレハブのような建物です。
部屋にはベッドが3台設えてありましたが、無理やりベッドを3台入れたようで部屋が狭い。
まあ、料金が安いので部屋の事は我慢できました。
最悪だったのは夕食のバイキングです。評価の低い口コミがありましたが正にその通り。
私達が宿泊した日のバイキングは酷いものでした。雲仙みかどホテル 宿・ホテル
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では私達親子が体験したバイキングを事実に基づき詳しく記述しましょう。
このホテル(実際は旅館)のバイキングは時間制限(90分)の時間予約入れ替え制で、食い放題・飲み放題です。
私達は食後ゆっくりしたいので6時に予約しました。フロントの斜め前が大食堂(バイキング会場)です。
15分前に食堂へ行きましたがすでに長蛇の列ができていて、皆さん早くも戦闘準備完了と言った様子でした。列は食堂入り口からフロントの前にできていましたが、当日は土曜日だったので特に宿泊客が多かったようです。
事前に私と妻と息子でカニ、肉、寿司及び刺身に別れ料理を確保することにしていました。
列を作って待っていると、スタッフから「料理を残すとペナルティとして追加料金がかかりますので、取った料理は残さないようにして下さい。また食べきれないような量を取らないようにして下さい。」と注意事項の説明がありました。
私達は列の中程より少し後ろでしたから、取り逸れはなさそうでした。
時間になると前の方から列が崩れ、一斉に料理に殺到します。凄い、置いていかれそうになり慌てて小走りで中に入りました。
中は料理ごとにすでに列ができていて、私はカニの列に並びました。流石にカニは人気ナンバーワン。一人が何本も取って行くので無くなるが早い。私の番まで残っているかと心配しましたが何とか間に会いました。
席に付く間にざっと料理を見て回りましたが、カニ・肉・寿司・刺身以外に意外と多くの料理がありました。
すでにカニ、刺身、寿司、肉は無くなっていて、飲み放題ですから酒・焼酎のコーナーにも行列ができていました。
席について皆で食事を開始した時はすでに20分も時間が過ぎていました。
肉の担当は息子です。ロースと焼き肉用の肉を取ってきたそうですが霜降り肉ではありません。聞いてみると「サシ」が入った霜降り肉は無かったそうです。
肉に煩い息子ですから間違いはないはずです。ともかく焼いて食べてみましたが硬い。柔らかくないうえに美味しくない、最悪。霜降り肉じゃなく赤肉でも和牛なら底味がして噛むほどに美味しいはず・・・。これ本当に和牛なの?
完全な外れ肉、ホームページに載っている肉とは似ても似つかぬ肉で硬いのに閉口しました。
次はタラバガニの爪と足、身詰まりは良いカニでしたが兎に角塩辛い。しかもなぜかパサパサしていてカニ本来の旨味が無い。とても2本3本と食べられるようなカニではありません。カニに目のない私でもとても食べきれそうもない代物でした。
塩辛過ぎて妻も息子も1本しか食べませんでした。
次は刺身。完全な養殖物です。水産県長崎に来て不味い魚を食べることになるとは思ってもみませんでした。
身が柔らかすぎてしかも水っぽい。長崎だから美味しい魚がたべられると思っていたのに期待はずれ。
刺身がこんな状態なのでお寿司が美味しいはずがありません。養殖物を使用したお寿司は想像に難くなく不味い。でも硬い牛肉や塩辛いカニよりはまだましでした。寿司はまだ食べられましたから。
肉は追加が来ていないか見に行ったところ、追加されたばかりなのかフィレ肉が沢山ありました。なぜフィレ肉がこんなに残っているんだろうと疑問に思いましたがまずは席に戻って焼いてみることにしました。
結果は「硬い、不味い」。フィレなのに硬い。硬すぎる。こんなに硬いフィレ肉を食べたのはこのホテルが初めてです。フィレ肉が残っているはずです。美味しくない、しかも硬いので他のお客さん達は取らなかったようです。
一番賢かったのは妻です。ノルマの寿司、刺身以外に他の料理も少しずつ取ってきており、それらはいけると言っていました。
それにしてもお残しは許されないとの注意が事前にあったので、取ってきた料理を残さず食べないといけません。
美味くも無い塩辛いカニと硬い牛肉を食べなければならないなんてまるで地獄です。塩辛さをビールで薄めながらカニを口に運びましたが、他の料理が食べられず何のためのバイキングなのか分かったもんではありませんでした。
ともかく料理を残さないように無理して口に運びました。 -
そうこうするうちに他の宿泊客から、クレームが出るようになりました。
飲み放題の酒と焼酎の追加が来ないようです。さらに料理の追加も遅いようです。
追加をスタッフに要求したのに、いくら待っても来ないのでついにはキレたようです。カニと刺身、寿司は開始早々に亡くなり追加はありませんでした。
スタッフは厨房からもう出てきませんでした。こんなバイキングがなぜ「豪華だ、素晴らしい、美味しい」になるんでしょうか?
当日私達と夕食を共にした宿泊客は大部分の人が宣伝内容と違うんじゃないのと感じたはずです。
霜降り肉なんて一欠けらも出ませんでした。ホームページの宣伝に偽りありです。
何故こうもこのホテルは評価が分かれるんでしょうか。
日によって仕入れる食材に大きな差があるんではないでしょうか。あるいは担当する調理師によって差があるのかもしれません。
例えばボイルされたカニの塩加減です。塩加減が薄く、ボイル時間がもっと短かったら美味しくいただけたはずです。カニは塩辛いうえにボイルしすぎて旨味が逃げてしまったようでした。
肉や魚に関しては食材の差が歴然としていました。
このホテルにもいい点はありますが、それらを割り引いてももう二度と利用したくないホテルです。
息子はバイキングをとても楽しみにしていたのでがっかりしていました。彼ももう絶対利用したくないと言っていました。 -
このホテルでは朝食もバイキングでしたが、こちらの方はどこの旅館でも出されるような料理だったので、朝食に関しては可もなく不可もなくといったところでした。
このホテルの良かった点もいくつか記述しておきましょう。
1つは本館にある温泉大浴場です。大きな浴槽で温泉の泉質が良く肌がすべすべになりました。
2つ目はお土産に一人1本づつもらった長崎カステラです。しっとりとしていて大変美味しかったです。これには大満足。
本館の中には「みかど劇場」があり大衆演劇が無料で見れますが、早い時間じゃないとダメなようで私が行った時はもう終わっていました。皆さんの口コミの評判はいいので、これは良さそうです。
確かに安い料金で泊まれて、食べ放題飲み放題のバイキングに演劇鑑賞してお土産付き。確かにコスパは良いと思いますが、それはバイキングが満足できてこそです。
我が家の評価は最悪・最低の星一つでした。もう二度と利用したくありません。
こんなに嫌な思いをしたホテルも珍しい。過去利用したホテルの中では最悪のホテルでした。雲仙みかどホテル 宿・ホテル
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