2016/04/10 - 2016/04/11
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前回に続き、醍醐寺の旅行記です。
そもそも醍醐寺は今から1200年ほど前の874年、理源大師により建立された寺院で、その御本尊は薬師如来です。
詳しくは貞観816年に上醍醐山上で地主横尾明神の示現により、醍醐水の霊泉を得、小堂宇をして、准胝、如意輪の両観音像を安置したのに始まるという。
907年には醍醐天皇の御願による薬師堂が建立され、五大堂も落成するに至って上醍醐の伽藍が完成したのです。
要するに、始まりは上醍醐からで、実際、上醍醐に登ってみましたが、結構な山道で、よくぞここにお堂のいくつかを建立したものだと感心しました。
上醍醐のそれに引き続くように下醍醐の地に伽藍の建立が計画され、926年に釈迦堂が建立。
ついで951年に五重塔が落成し、下伽藍の完成をみた。と説明を受けました。
結構な山道を登っていくことになりますのでーーー、覚悟してご覧ください
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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女人堂。下醍醐から上醍醐に向かう起点です
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ここから山に登ります。女人坂という
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最初のうちは石段も高くはないのですが、だんだんと高く広くーー
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坂の途中の観音堂で一休み。白装束の西国巡礼の集団とすれ違う
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上醍醐の社務所に到着。かなりきつい山道で、先だって、歌舞伎{不徳のいたすところと弁明した)役者が出演し坂の感想を述べたことでも、しんどい山道です。
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上醍醐、鐘楼
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先日報告した下醍醐の鐘楼です。ご参考まで
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国宝、薬師堂。
上醍醐伽藍の中央に位置し、延喜913年に醍醐天皇の御願堂として創建されました。900年以上の風雪を耐え抜いてきました。
全体に水平感を強調した落ち着いた建物で平安後期の気風をよく伝えています。本尊の薬師三尊像(国宝)は、保存管理の為、平成13年10月の霊宝館リニューアルオープンの際に霊宝館平成館に遷座されています。
そのため平成24年4月に新しい本尊として薬師三尊が造顕され奉安されています。 -
醍醐水周辺です。
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五大堂。
913年に醍醐天皇の御願堂として創建されました。
以後数度の災に遭い、現在の五大堂は昭和15年に再建されたものですが、山上に聳えるその偉容は、鎮護国家を託された往時の山上密教寺院の雰囲気を今に伝えています。 -
五大堂の守り
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開山堂。醍醐寺の開山、聖宝・理源大師を奉安したお堂。最初は御影堂(みえどう)といい、911年に理源大師の弟子、醍醐寺第一世座主、観賢僧正によって建立され、後に焼失。鎌倉時代に再建されたものの荒廃。現在のお堂は、1606年、豊臣秀頼によって再建されたもので、雄大な桃山時代の特徴をよく表した山上最大のお堂です。
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上醍醐山頂からの眺め。遠く、大阪湾、アベノハルカスが見えるはずがーーー
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写真の記録がないものの、これ以外に、清瀧宮拝殿(国宝)、清瀧宮本殿、如意輪堂を拝観。帰り道、パチリ。
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下山途中に五体の像が。
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上醍醐から下山し、もう一度、下醍醐を
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五重塔は見事ですね。隆盛を極めた醍醐寺も長い年月の間に幾度かの火災と殊に応仁・文明の大乱の余波とによって下伽藍堂宇はことごとく灰燼に帰してしまったが、幸いにも五重塔だけが難を逃れ、天暦盛時の姿を今に留めています。
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金堂内部。御本尊
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つつじがさき
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醍醐寺から出て、源頼政道を発見。
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