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約1200年前に弘法大師・空海によって開山した聖地です。<br /><br />標高およそ985mの盆地に総本山金剛峯寺や根本大塔などの様々なお堂や塔などが並び 「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。 <br /><br />今回は車でのアクセス。アクセスは、どこの国道も渋滞するので電車(南海)でのアクセスがおすすめです。<br /><br />今回は十津川村から国道168号経由で高野山へ。国道168号。くねくねの峠道です。<br /><br />駐車場は、中の瀬の無料駐車場へ。たぶんここが一番すいていると思われます。<br /><br />中の橋から、奥之院・弘法大師御廟(こうぼうだいしごびょう)へ。もちろん、撮影・喫煙・飲食禁止となる聖地です。<br /><br /><br />灯籠堂の正面には、千年近く燃え続けていると言われる二つの「消えずの火」があります。<br />祈親上人が献じた祈親灯と、白河上皇が献じた白河灯です。<br />この灯籠堂を抜け、奥に進むと、空に向かって伸びる千年杉に囲まれた厳かなたたずまいの弘法大師御廟が現れます。<br /><br />なお、弘法大師が62歳のときに御廟に入定し、それから1000年以上経つ現在も悟りの世界に入りながら生きておられると考えられています。<br />そのため、毎日朝6時と10時30分に御廟まで食事が届けられているんですよ。<br /><br />苅萱堂から総本山金剛峯寺(こんごうぶじてら)へ徒歩で移動<br /><br />金剛峯寺の名称は、弘法大師が高野山一山の総称として命名されたものです。<br />明治初年、興山寺と秀吉が建てた青厳寺と合併して金剛峯寺と改称し、 全国3,600に及ぶ末寺を代表する高野山真言宗の総本山となりました。<br /><br />そして 檀上伽藍(だんじょうがらん)へ徒歩で移動。道は、観光客で混んでいます。<br /><br />奥の院と共に高野山二大聖地のひとつです。<br /> 伽藍とは僧侶が集まり修行をする場所のことです。 <br />弘法大師が高野山上に伽藍建立した最初の地と云われ、 現在では総本堂である「金堂」や多宝塔「根本大塔」が建ち並ぶ高野山一の伽藍群です。<br /><br /> 壇上伽藍は、右手を清浄とする右遶(うにょう)という礼拝ということで、右肩を壇上伽藍の中央に位置する金堂の仏像に向け、時計回り(右回り)で巡るのが正式な参拝だそうです。<br />金堂の西にある松は、平安時代の高僧が昇天したとされる場所で、「登天の松(とうてんのまつ)」と呼ばれています。<br /><br />そして、三鈷(さんこ)の松へ<br /><br />弘法大師が唐から帰ってくる際に、明州の浜から真言密教を広めるのにふさわしい場所を探すために、日本へ向けて三鈷と呼ばれる法具を投げたそうです。<br /><br />その後すぐに紫雲がたなびき、雲に乗って日本へと飛んできたと言われています。<br />後に大師が高野近辺を訪れると、狩人から夜な夜な光を放つ松があると聞きました。<br />そしてすぐに松へと行ってみると、唐より投げた三鈷が引っかかっていたそうです。<br />それを見た大師はこの地こそ密教を広めるにふさわしい土地だと決められたという伝説が残っています。<br /><br />そして高野山をあとに車で、丹生都比売神社へ<br /><br />世界文化遺産 神仏融合はじまりの社<br />今から約1700年前、「天野」の地に創建されたと伝えられる丹生都比売神社。<br />弘法大師空海が高野山を開くとき、この神に仏法の守護を願い、神々の山「高野」を借り受けたとされている。<br />ゆえに、古来から高野山の鎮守社として知られ、空海を高野山へと導いた狩場明神(高野御子大神)が祀られ、高野山と密接な関係を保ってきた。<br />紀伊国一之宮であり、日本全国の丹生都比売神を祀る神社の総本社。<br />ニウツヒメオオカミは、厄除け将来の道を拓くのに力を与えてくれます。<br />悪縁を断ち切って、良縁を結んでくれます。

日本屈指のパワースポット!高野山

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2016/09/10 - 2016/09/10

532位(同エリア1106件中)

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ちはや

ちはやさん

約1200年前に弘法大師・空海によって開山した聖地です。

標高およそ985mの盆地に総本山金剛峯寺や根本大塔などの様々なお堂や塔などが並び 「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。

今回は車でのアクセス。アクセスは、どこの国道も渋滞するので電車(南海)でのアクセスがおすすめです。

今回は十津川村から国道168号経由で高野山へ。国道168号。くねくねの峠道です。

駐車場は、中の瀬の無料駐車場へ。たぶんここが一番すいていると思われます。

中の橋から、奥之院・弘法大師御廟(こうぼうだいしごびょう)へ。もちろん、撮影・喫煙・飲食禁止となる聖地です。


灯籠堂の正面には、千年近く燃え続けていると言われる二つの「消えずの火」があります。
祈親上人が献じた祈親灯と、白河上皇が献じた白河灯です。
この灯籠堂を抜け、奥に進むと、空に向かって伸びる千年杉に囲まれた厳かなたたずまいの弘法大師御廟が現れます。

なお、弘法大師が62歳のときに御廟に入定し、それから1000年以上経つ現在も悟りの世界に入りながら生きておられると考えられています。
そのため、毎日朝6時と10時30分に御廟まで食事が届けられているんですよ。

苅萱堂から総本山金剛峯寺(こんごうぶじてら)へ徒歩で移動

金剛峯寺の名称は、弘法大師が高野山一山の総称として命名されたものです。
明治初年、興山寺と秀吉が建てた青厳寺と合併して金剛峯寺と改称し、 全国3,600に及ぶ末寺を代表する高野山真言宗の総本山となりました。

そして 檀上伽藍(だんじょうがらん)へ徒歩で移動。道は、観光客で混んでいます。

奥の院と共に高野山二大聖地のひとつです。
伽藍とは僧侶が集まり修行をする場所のことです。
弘法大師が高野山上に伽藍建立した最初の地と云われ、 現在では総本堂である「金堂」や多宝塔「根本大塔」が建ち並ぶ高野山一の伽藍群です。

壇上伽藍は、右手を清浄とする右遶(うにょう)という礼拝ということで、右肩を壇上伽藍の中央に位置する金堂の仏像に向け、時計回り(右回り)で巡るのが正式な参拝だそうです。
金堂の西にある松は、平安時代の高僧が昇天したとされる場所で、「登天の松(とうてんのまつ)」と呼ばれています。

そして、三鈷(さんこ)の松へ

弘法大師が唐から帰ってくる際に、明州の浜から真言密教を広めるのにふさわしい場所を探すために、日本へ向けて三鈷と呼ばれる法具を投げたそうです。

その後すぐに紫雲がたなびき、雲に乗って日本へと飛んできたと言われています。
後に大師が高野近辺を訪れると、狩人から夜な夜な光を放つ松があると聞きました。
そしてすぐに松へと行ってみると、唐より投げた三鈷が引っかかっていたそうです。
それを見た大師はこの地こそ密教を広めるにふさわしい土地だと決められたという伝説が残っています。

そして高野山をあとに車で、丹生都比売神社へ

世界文化遺産 神仏融合はじまりの社
今から約1700年前、「天野」の地に創建されたと伝えられる丹生都比売神社。
弘法大師空海が高野山を開くとき、この神に仏法の守護を願い、神々の山「高野」を借り受けたとされている。
ゆえに、古来から高野山の鎮守社として知られ、空海を高野山へと導いた狩場明神(高野御子大神)が祀られ、高野山と密接な関係を保ってきた。
紀伊国一之宮であり、日本全国の丹生都比売神を祀る神社の総本社。
ニウツヒメオオカミは、厄除け将来の道を拓くのに力を与えてくれます。
悪縁を断ち切って、良縁を結んでくれます。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
2.5
ショッピング
2.5
交通
2.5
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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