2016/05/03 - 2016/05/04
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mistralさん
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サンクト・ペテルブルクを訪れる誰もが
エルミタージュ美術館はマストの場所と思っているはず。
内部は広大な広さで、1日では見きれないと思い
二日間有効なティケットをオンラインで申し込んでおいた。
(詳細は準備編で)
3日は朝1番での入場、翌4日はエカテリーナ宮殿へ行った
帰りの入場となった。
19,20世紀のヨーロッパコレクションは移動していた為、
時間切れ、体力切れで、断念した。
表紙のエンジェルはガイドブックで見かけて、高貴な表情に
一目惚れ!何処で会えるやら?とほとんど諦めていたが、
ほとんど終わり近くに偶然?、それとも待っていてくれた?
かのように出会うことができた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月3日
事前にネットから購入しておいたティケットで
エルミタージュ美術館へ行く予定の日。
ネフスキー大通りをずっと歩くのは大変なので
トロリーバスを利用した。
乗り込んだら、車掌さんから切符を購入する。
一人30RUB。
便利なので何度か乗ったが
大体はシニア世代?の車掌さんが活躍
されていた。
混んでいたりで車掌さんが見つけにくくても
見つけて、来て下さる。 -
ホテルで,
何番のトロリーバスに乗ったら、
美術館まで行けるのかを聞いたら
こんな用紙を下さった。
主だった観光地までのバス、トロリーバスの
番号が書かれている。
乗り場は蜂起広場から
ネフスキー大通りに入って
すぐの所にある乗り場を利用。 -
エルミタージュ美術館近くまで来たので
下車した。 -
勇んで早く来てしまったようだ。
まだ宮殿広場は人の気配がない。
朝9時半だった。 -
この写真は午後の様子。
-
宮殿広場中央に立つアレクサンドルの円柱。
高さ47.5m、重さ600tの一枚岩の大理石だそうだ。
てっぺんには十字架を抱く天使像が。
天使は戦争の勝利者であるアレクサンドル1世を
モデルにしている。 -
1812年、大陸制覇を目指すナポレオン軍がロシアへ侵攻を開始。
祖国戦争が始まった。
ロシア軍はモスクワ郊外のポロジノで激戦を繰り広げたが、
モスクワに火を放って退却。
しかし折しも冬を迎えるロシアにはナポレオン軍は勝つことが
できずに撤退していった。
これを追撃したロシア軍は1814年、パリを占領し
ロシアの存在をヨーロッパに知らしめた。
この祖国戦争の勝利を讃えてアレクサンドルの円柱は
1834年に立てられた。
2000人の兵士がロープを引いて立ち上げたそうだ。 -
だんだん美術館へ近づいていって
みると -
すでに入場券購入を待つ人々が
列をつくっていた。 -
一般の人は、
この宮殿広場側から
中庭に入っていったところにある
ティケット売り場で購入する。
多分売り出し前からの行列。 -
mistralたちはその行列を通りすぎていく。
-
ロシア出発の前に
エルミタージュ美術館からメールが来ていた。
4月29日からon-lineでティケットを購入している人
の入場ティケット引換の窓口が変更になったとの
お知らせ。
どうやら冬の宮殿を通り過ぎたところらしい。 -
まだその門は閉じられている。
10時半から開くようだ。 -
しばらく近くを歩き回っていた。
ここは新エルミタージュになるのか?
エルミタージュ美術館が正式に美術館となり
一般に公開されるようになったのは
新エルミタージュが完成した1852年。
それを遡る1764年、エカテリーナ二世が
ベルリンの実業家ゴツコフスキーから
225点の絵画を購入し、収蔵する為に
小エルミタージュを建設したことから
その年が美術館創立の年とされているようだ。 -
上記のように、エルミタージュ美術館は4つの建物からなっている。
冬の宮殿、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、
新エルミタージュからなっている。
中を歩いていると、全部は廊下でつながっているため
どこにいるのかわからなくなってしまう。
巨像の足元には製作年代が(1849年と)。 -
今、旅行記を書いていて初めて
どのように歩いていたのかが理解できたほど
中は広大で入り組んでいて、ほとんど
現地では彷徨っていた感じだった。 -
しばらく前から並んでいたおかげで
mistralたちの後に列ができ
珍しく先頭になった。 -
扉が開門され
そのあとこの扉の前で並んで待った。
係の方が夫の背負っていたサブリュックを見て
このぐらいなら(クロークに預けなくても)
OKとのこと。
その上、中に入っていたペットボトルもチェック
されなかった。 -
まず最初に目にするのは
「大使の階段」
いわゆる「ヨルダン階段」
(冬の宮殿) -
まだ入場者の数も少ないため
あまり写真に写っている人が
少ないが、午後にはこのあたりは
ごった返していた。 -
-
数多くの外国大使を迎えた階段であり
ロシア・バロックの傑作。 -
この後、豪華な宮殿内部へと進まずに
(この部分は翌日に再訪問した)
イタリア絵画の矢印に誘われ
パヴィリオンの間へやってきた。
(小エルミタージュへ) -
ここはもともとは4つの部屋に分かれ
エカテリーナ2世の愛人ポチョムキンが
暮らしていた。
彼からのプレゼントによる
「孔雀の時計」がここの目玉。 -
18世紀後半イギリス製の
からくり時計。
一体どのように動いたのやら! -
-
大きなシャンデリアはもちろん
素晴らしいが
こういった小ぶりなシャンデリアに
mistralは惹かれる。 -
一方の床には
八角形にモザイクが
はめ込まれている。 -
-
-
更に
「空中庭園」と称される
二階に設えられた庭園があって
四季折々、目を楽しませてくれたことだろう。 -
一方
反対側の窓からは
ネヴァ川のすばらしい眺望が
見渡せる。 -
ロストラの灯台も!
-
ここエルミタージュ美術館は
エカテリーナ二世が225点の絵画を
購入したことから,美術館としての機能が
始まり,その後,更に歴代の皇帝たちによって
コレクションは膨らんでいった。
巨大な孔雀石の壺 -
ダ・ヴィンチの間へ
やってきた。
(旧エルミタージュ) -
「ブノワの聖母子」
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ここは額が更に
ケースに収められていて
写り込みがあって
見学者も多く
撮影が難しい。 -
「リッタの聖母」
レオナルド・ダ・ヴィンチ
1864年,ミラノのリッタ家より
購入。 -
(このあたりから新エルミタージュ)
-
「ラファエロの回廊」
-
ラファエロの手による
ヴァチカンのフレスコ画が
模写されている。 -
宮殿内を
川が流れていた?
何処で撮ったのやら? -
「ペルセウスとアンドロメダ」
ルーベンス
1769年,ザクセンの宰相,ブリュール伯爵の
コレクション600点以上を購入した中の
一点。 -
-
-
「ダナエ」
レンブラント
1772年,フランスの財務長官,クロザ男爵の
コレクションを購入したものの一点。 -
1985年,観客により
キャンバスにナイフを突き立てた上
硫酸をかけられた。
その後,修復されたが
元通りには戻っていないようだ。
その後,液体物の持ち込みが
禁止された。 -
「放蕩息子の帰還」
レンブラント
有名な絵画は
多くの見学者に囲まれている。 -
ずっと歩き続けて
足が棒のようになってしまった。
一階にあるカフェテラスで
大きなケーキを一つ買って
分けて食べた。
海外にいると不思議にコーラが
おいしく感じる。 -
しばらく歩き回り
突然,彫刻が立ち並ぶ部屋へ
出てきた。
このエンジェルが
ガイドブックで見てから
現地に行ったら是非とも
会ってみたい!と思っていた
エンジェル。 -
第二次大戦時
サンクト・ペテルブルクがドイツ軍に包囲され
爆撃を受ける前に
ここ、エルミタージュ美術館では
8日間で枠から絵画をはずし運び出した。
その折には市民が協力してその作業にあたったという。
そのおかげでたくさんの美術品が、今も生き続けている。
どんな大義名分があろうと、
戦争によって
人命、文化遺産などが
失われることになっては
ならない。 -
とかく天井を見上げ、
壁にかけられている絵画に見とれ、
寄木細工の素晴らしい床までを
見つめることを忘れてしまう。 -
二階から見下ろしたら
相変わらずの入場待ちの
長い列が。 -
一体どのぐらいの時間を並んだら、
ティケットが購入出来るのやら。
この列は多分広場まで
続いていると思う。 -
翌日エカテリーナ宮殿を案内してくれた
ロシア人ガイド曰く、
何故ネットから事前購入できるのに
そうせずに、ひたすら並んでいるのか
わからない、と。
そうなのね〜
ロシア人でもお互い理解できないことが
あるんだ、と思った。 -
翌日の再入場の際には
正面入口側に
すでにティケットを持っている
人の為の列があって
待たずに入ることができた。 -
「ピョートル大帝(小玉座)の間」
ピョートル大帝の栄誉を讃えて
作られたという間。
(このあたりは冬の宮殿にある) -
絵には
ピョートル大帝と
女神ミネルヴァが描かれている。 -
「紋章の間」
-
別の時間に撮った一枚。
シャンデリア全てが点灯されてない
ことが、初めてわかった。
宮殿内はどこもまばゆいほどで
歩いていても気がつかない。 -
ここは
「1812年祖国戦争の画廊」 -
ナポレオン戦争に参加した
300人の将軍たちの肖像画が掲げられている。
ときおり空いているスペースがあるのは
戦死したために肖像画を描けなかった
将軍のスペース。 -
「聖ゲオルギー(大玉座)の間」
-
皇帝が各国大使を
謁見した間。
正面はロマノフ王朝の紋章,
双頭の鷲が描かれている。 -
素晴らしい調度品も
さりげなく
置かれている。
2日目は冬の宮殿の
豪華な内部を見学したが
それでもほんの一部しか
見学出来なかったことがわかった。 -
昼過ぎの広場は
お客待ちの馬車が何台か見られたり
華やかな雰囲気が漂っていた。
さすがにこの後
19,20世紀の美術品のある
別館に行く元気は残っていなかった。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- わんぱく大将さん 2016/06/26 08:11:22
- かなりの量ですね
- mistralさん
かなりの量と質。 これらを集めた財政力も凄いです。皆さん、並んでる時にすでに、疲れてしまうのではと思うのですが、それでも予約しないんでしょうね。
大将
- mistralさん からの返信 2016/07/01 23:05:40
- RE: かなりの量ですね
- 大将さん
財力そして意欲!
ヨーロッパ文化に対する憧れ?それとも意地?
同じレベルを目指したのでしょうね、きっと。
入場までには2時間ぐらいは待つのでしょうね。
ネットでの予約がないと、ひたすら並ばなければならない、
と聞きましたので、必死で頑張りました。
mistral
> mistralさん
>
> かなりの量と質。 これらを集めた財政力も凄いです。皆さん、並んでる時にすでに、疲れてしまうのではと思うのですが、それでも予約しないんでしょうね。
>
> 大将
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